第3回”不良性感度”、二代目社長岡田茂のビジョン

 実録映画路線に代わる新たな方向性を模索する中、75年に、日本国内初のパニック映画とされる高倉健主演の『新幹線大爆破』を公開した。今でも一部の熱狂的な映画ファンに支持されている映画だ。公開当時、海外では高い評価を受け大ヒットしたものの、残念ながら日本ではヒットに結びつかなかった。そこに、新たなヒットシリーズへと成長する作品が登場した。同じ年に公開された菅原文太主演の『トラック野郎 御意見無用』だ。記念すべき『トラック野郎』シリーズ第1作である。このシリーズは、文太自身にとって、やくざ映画から脱却するきっかけの作品となった。『新幹線大爆破』の興行収入を上回りシリーズ化が決定する。〝大当たり〟、というのが実感だ。東映に入社して当たった、と実感したのは73年の『山口組三代目』、75年の『トラック野郎』、78年の『柳生一族の陰謀』、81年の『セーラー服と機関銃』。映画館に観客が入りきれないという状況だった。ちなみに『柳生一族の陰謀』は、東映初の1本立て興行映画である。その件については、別の機会の話としよう。

全国津々浦々を走り回る長距離トラックの運転手たちの豪快で骨太な気風と生き様を、ユーモアを交えながら描いた『トラック野郎』シリーズは1975年に『トラック野郎 御意見無用』が公開されるや予想を上回る観客動員となり、『男はつらいよ』シリーズと同じく、年2回のペースで公開され、79年の『トラック野郎 故郷特急便』まで10本が製作された。当時、巷には〝デコトラ〟と呼ばれる派手で大がかりな電飾とペイントで装飾を施したアートトラックがあふれるようになった。デコトラはトラック野郎たちの名刺代わりの〝男の勲章〟だったのかもしれない。主人公が乗るトラック「一番星号」を模したプラモデルも子供たちの間で大ヒットした。主演の菅原文太演じる、トラック野郎の一番星・桃次郎は、行く先々で登場するマドンナに血道をあげるが、結局失恋に終わってしまうお決まりは〝寅さん〟を意識したものに違いない。マドンナに島田陽子を迎えた第3作『望郷一番星』の舞台は北海道ということで、当時多田氏が所属していた東映北海道支社では、道内を周り「あなたの町をあのギンギラギンのトラックが走ります」と宣伝したという。第6作には注目されはじめていた新人の夏目雅子が出演していた。桃次郎の相棒は〝キンキン〟の愛称で親しまれていた愛川欣也扮する〝やもめのジョナサン〟(当時ヒットした映画『かもめのジョナサン』のパロディ)こと金造。その女房役の春川ますみとの間にシリーズを重ねるごとに子供の数が増えていったのもファンの間では笑えるネタだった。文太とキンキンが歌う主題歌もヒットした。派手な立ち回りのアクションあり、カーチェイスあり、お色気あり、人気喜劇人たちによるギャグあり、そしてトラックが走る全国各地の有名な祭りの場面も盛り込まれるなど、まさに大衆娯楽活劇と呼ぶにふさわしいシリーズだった。ポスター画像はシリーズ第一作『トラック野郎 御意見無用』©東映

 実録路線、そして『トラック野郎』シリーズと、東映の時代はまだ続いていた。企画力というより、岡田茂の明確なビジョンによるものだろう。テレビでは観られないものを作りテレビに取り込まれない客層を対象にするのである。〝不良性感度〟と言っているが、つまりお茶の間では敬遠されがちなバイオレンスだとか、エロチシズムもの、それに、たとえば『女囚さそり』の女子刑務所のようになかなか見る機会がなく、ちょっとのぞいてみたくなるような知られざる世界などに目をつけたのが成功の要因だった。テレビが敬遠するバイオレンスやエロチシズムを、鮮やかに映画的な魅力へと見事に結実させたのだ。時代を少しさかのぼると、67年の『大奥㊙物語』も佐久間良子、藤純子、山田五十鈴らによる豪華絢爛絵巻の中に、知られざる女の世界のエロチシズムを盛り込み、観客の〝のぞいてみたい〟という気持を刺激してヒットした。ヒットの余波による68年のテレビドラマ「大奥」では、エロチシズムの部分は排除されたが、題材の華やかさもあり、藤純子、有馬稲子、中村玉緒、三田佳子、美空ひばりら豪華女優陣が演じる女たちの生々しい内幕ドラマを覗き見感覚で楽しむ女性たちの心を掴み、最高視聴率30パーセント越えの大ヒットとなった。すでにその頃から岡田茂には、〝茶の間で観られないもの〟を作り、ヒットへと導くという映画に対する確かなビジョンがあった。〝不良性感度〟を働かせ、映画でしか観られないものを作るという方向性が、結果として東映ならではの数々のヒット映画を生んだ。

 繰り返しになるが、東映の映画というのは、一貫して庶民のものだということだ。雨になると動員数が増えた。道路工事やビル建設工事現場で働く日雇い土木工事作業員にとって、雨は天敵。雨が降ると仕事はなく、飯の食い上げである。そうなると、酒でも飲もうか、映画でも観ようかということになる。私の地元、北海道の漁師もそうだった。台風になると、漁に出られない漁師たちで映画館があふれたこともある。娯楽が溢れる今の時代では考えにくいかもしれないが、映画が庶民の慰めになるという時代があった。映画が一番の娯楽の時代に、東映は庶民の生活に寄り添い、大衆娯楽に徹して映画を作り続けてきた映画会社であり、常に社会の動向を敏感に察知することで、製作する映画の方向性も見極めていた。

 次回は『宇宙戦艦ヤマト』と角川映画の時代、という東映の新たな転換期を振り返ってみる。

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