第6回 1977年『宇宙戦艦ヤマト』大ヒットの舞台裏

 角川春樹事務所とのタッグでは、その後も78年高倉健主演で薬師丸ひろ子のデビュー作『野性の証明』、81年は『魔界転生』(東映作品だが、岡田社長は角川春樹氏の手腕を見込み個人プロデューサーとして迎えた)、薬師丸主演『セーラー服と機関銃』(配収23億円)、83年は『里見八犬伝』、原田知世主演『時をかける少女』と薬師丸主演『探偵物語』の2本立てで配収28億円、84年には『Wの悲劇』と『天国にいちばん近い島』、『メインテーマ』と『愛情物語』のいずれも薬師丸&原田の2本立てに、『麻雀放浪記』、その後も『天と地と』『天河伝説殺人事件』などなど多くのヒット作を誕生させた。

 東映洋画の存在が大きくクローズアップされたのは、ヤマトシリーズ、角川映画の委託作品がうまくはまったことにある。

 西崎氏も、角川氏も既存の映画界とは別のところで仕事をしていた人だ。岡田社長は「絶えず大衆の求めているものは揺れ動いている。これについてゆくためには、まったく別の発想のモノを入れ込むこともやらなければダメ」と言っており、角川氏、西崎氏と組んだのもそのビジョンを行動に移した結果だった。

 東映と言えば、自社製作にある種の思い入れを持っている会社で、企画も撮影もスタッフもキャストも外部の力を借りることなくすべてを自社でまかなえていた、東映モンロー主義とでも言うべき意識があった。その結果、『トラック野郎』が当たったため、東映の自己改革が5年間遅れた、という見方も出てくるようになった。一億総中流という意識が主流となった時代の流れの中で、岡田社長は、東映には外部の力が必要だと考えたかもしれない。これも岡田社長の功名であろう。

1981年公開の『魔界転生』での柳生十兵衛(千葉真一)と、柳生宗矩(若山富三郎)の父子対決シーン。十兵衛と宮本武蔵の対決は時代劇ファンにとっては、まさに〝ドリーム・マッチ〟であるが、宗矩と十兵衛との真剣勝負もまた史実ではありえない、時代劇ファンの心をくすぐる企画である。宗矩は病魔に侵され命尽きた後、天草四郎からの魔界衆への誘いを拒むものの、宗矩には、たった一つ現世への未練があった。息子十兵衛を天才的な剣豪として愛し、剣士として十兵衛と戦いたいということだった。そこを四郎に見透かされ、宗矩は魔界衆への転生を受け入れるのである。千葉真一は自著『侍役者道』の中で、「殺陣の名手といったら、この人しか頭に思い浮かばない」として若山富三郎の名を挙げている。近衛十四郎、勝新太郎ら、殺陣の達人たちの名前を挙げながらも「この目で見た限り、若山さんの殺陣のスピード、美しさ、迫力は群を抜いていた」と語っている。そして、「感心させられるのは、恐ろしく速いにもかかわらず、速さの中に、ちゃんと〝間〟があることだ」と続けている。映画俳優・千葉真一にとっても、この対決シーンは、夢のような体験だったに違いない。このシーンを今一度DVDなどで確認してみたい。©東映

 次回は、「映画のある街」をスローガンに国際ファンタスティック映画祭を開催した夕張市のこと、そして東映とテレビとの関係などについて話を進めていくことにしよう。

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