これだけ猛暑がつづくと、北海道の湿気のない爽やかさが懐かしい。北海道旅行はしばらくしていないが、忘れもしないのは、1966年(昭和41)の高校二年生の二学期に入って間もなくの初秋だったか、残暑から逃げるようにして初めて北海道の地を踏んだのは修学旅行だった。上野から生まれて初めて夜行寝台列車に乗り込み、初体験の興奮と列車の揺れで眠られず、まんじりともせず青森で朝を迎えた。12時間くらいは列車に揺られたはずだ。眠くてボーっとしていたせいか青森駅の記憶もなく、間もなく青函連絡船で約4時間の船旅をへて函館に到着した。函館からは観光バスに乗り換えて道内を巡る。しかし、どこをどう観光したのか忘却の彼方なのは、同乗のバスガイドのお姉さんに気が惹かれ観光どころではなかったのである(やっぱりませた高校生でした)。バスで道内の観光名所を巡ったはずなのに、辛うじて記憶のあるキーワードは、函館五稜郭、カトリック教会、昭和新山、とうもろこし、そして摩周湖くらい。
バスの移動中は居眠りばかりで、目が覚めればガイドさんを目で追っていた。コッペパンのような船形の紺の帽子を頭にのせて、白いブラウスに紺のタイトスカートがユニフォーム。これは記念のツーショット写真が残っているお陰で、57年前の記憶ではない。美人というより、可愛い人妻風の色気があったのです。バスの席の一番近くに移動してガイドさんを見つめるばかり。ボクはすっかり恋をしたんですね。なにしろツーショットにも応じてくれたのだから、ボクの猛烈なアタックを気づいて大人の女性の粋なあしらいで応じてくれたのだろう。かくて修学旅行の思い出は彼女に夢中になったことしか覚えていない、という次第なのである。
友達からは「お前は熱しやすく冷めやすい奴」と冷やかされるばかりだったが、帰京して間もなくすっかり忘れていた修学旅行の〝出来事〟が突然よみがえったのは、この年の12月1日に「霧の摩周湖」が発売され、布施明は翌1967年にかけてこれまでの露出度とは打って変わってテレビの歌番組の出演も盛んになった。1965年にイタリアのボビー・ソロの大ヒット曲「Se piangi, se ridi」(邦題「君に涙とほほえみを」)を安井かずみの訳詞によって、布施明はデビュー曲として歌唱した。甘いマスクは欧米人とのハーフを思わせ、いかにもラブソングが似合っていたし、何しろ幅の広い音域で抜群の歌唱力だった。「君に涙とほほえみを」を引っ提げてデビューした時は、大物の洋楽系歌手が誕生したと思ったものだった。また日曜日の夜8時のドラマ『青春とはなんだ』(日本テレビ系列)の主題歌「若い明日」(作詞:岩谷時子、作曲:いずみたく)が3枚目のシングルで、ゴールデンタイムに流れる布施明の伸びやかで明るい歌唱が印象に残っている。また挿入歌「貴様と俺」も後々までつづいた日本テレビの青春ドラマシリーズでは夏木陽介、竜雷太ら出演者にも歌い継がれてきた。
摩周湖とお姉さんガイドの思い出に、しばらくの間センチメンタルな気分になって、ため息ばかりの日々がつづいた。彼女が摩周湖を説明しているときの横顔が忘れられなかった。北海道東部に位置する周囲20キロ、最深部211メートルのカルデラ湖は、周囲を高い絶壁が囲んでいてひっそりとたたずみ神秘的だった。その日はよく晴れていたが、「皆さん、摩周湖は霧が出て見えなくなることが多いんですよ。今日はラッキーです」と言った。「でもね、霧が晴れた摩周湖を見ると婚期を逃しちゃうと言われているんです、私が証人です」とガイドさんはケラケラと笑って言った。