宇多田ヒカルの母、藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」は、70年安保の騒乱の中で若者たちの挫折感を救った魂の歌

 1970年の〝暗〟は藤圭子が一人で背負ったような一年だった。目鼻立ちがはっきりとした日本人形のような顔立ちにもかかわらず、ニコリともせずマイクの前に立つ藤圭子の鮮烈なデビューは1969年9月の「新宿の女」の大ヒットから始まった。その余勢を駆って、「女のブルース」(70年2月)をリリース、4月25日3枚目のシングル「圭子の夢は夜ひらく」は6月8日にはオリコン第1位を獲得し7月27日まで10週連続で1位をキープ。さらに7月25日発売した「命預けます」まで次々と大ヒットを連発する。「圭子の夢は夜ひらく」はミリオンセラー越えの大ヒットとなり、日本歌謡大賞を受賞、NHK『紅白歌合戦』にも初出場した。テレビを前に20歳そこそこの新人とは思えないふてぶてしさを感じながら視聴者は彼女のハスキーボイスに聞き入ったのだった。

 ところで、「夢は夜ひらく」の原曲は練馬少年鑑別所(通称・ネリカン)で歌われていた詠み人知らずのような曲を、作曲家の曽根幸明が採譜の上、補作詞を施したといわれている。これが1966年に入って多くの歌い手によって競作発売され、ポリドールの園まり版が最大のヒットを記録。ほかにクラウンの緑川アコ版もヒットした。「夢は夜ひらく」は、歌い手によって作詞が異なり、補作曲を手掛ける作曲家も変わっている。園まり版は中村泰士が補作曲、作詞も中村と富田清吾の共同で作られた。特異な生い立ちで世に広まった楽曲だが、藤圭子のリリースはそれから3年半後に曽根幸明の作曲、作詞は藤圭子の育ての親である石坂まさをが手がけた。タイトルに「圭子の」と付けているのは、先行する各々の「夢は夜ひらく」とかなり異なる世界観からなのか、ヒットを続けてきた藤圭子がどのような解釈で歌うのか、プロモーション狙いの意図を感じさせなくもなかった。かくて藤圭子ブームの1年を象徴する楽曲となったが、それ以上に、その後カバーされ、歌い継がれていく「夢は夜ひらく」のすべてが藤圭子版をベースに歌われるようになった。あまりのインパクトの大きさに、園まりをはじめとする66年の「夢は夜ひらく」のムード歌謡のような雰囲気は消し飛んでしまったのだ。

 藤圭子の生い立ちや赤貧洗うがごとしの少女期から、大スターに昇りつめて瞬く間に国外脱出、結婚・離婚・再婚の繰り返し、そして自死に至るまでの62年には謎めいたエピソードがあり、多くのメディアによって虚実混じりで詳らかにされてきた。それらをなぞるのが本欄の目的ではない。「とても怖がりのくせに鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が早くて、子供のように衝動的で危うく、おっちょこちょいで放っておけない、誰よりもかわいらしい人でした。悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。」 と娘の宇多田ヒカルはオフィシャルサイトで語っている。宇多田ヒカルの母としての素顔は〝怨歌の女王〟の影も形もない。ただ、あの騒乱の時代に挫折感を味わった団塊世代を慰めてくれたのは、反戦フォークでもプロテストソングでもなく、藤圭子が歌う紛れもない〝怨歌〟だったのである。

文:村澤 次郎 イラスト:山﨑 杉夫

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