昭和の幸せな音楽シーンに欠かせない存在だった[ダークダックス]の人生の応援歌「銀色の道」

 話は飛ぶが、群馬県館林市に彼ら4人の60年余りにわたる活動のすべてが留められている「ダークダックス館林音楽館」がある。ゾウさんの訃報から間もなく、いてもたってもいられず初めてこのミュージアムを訪れた。館林市のダークのファンでもあったママさんコーラスグループの呼び掛けや地元の有志の力が結集して2008年4月オープンにこぎ着けたという。ダークのメンバーのもとにあった5000曲以上に及ぶ楽譜やドーナツ盤時代のレコードジャケット、当時の演奏会のポスターなどの印刷物等々、リアルな資料は貴重な文化財ともいえるが、中でも散逸を危惧したゲタさんは、NPO(特定非営利活動法人)の同館の下で運営管理されていることにホッとしていることだろう。
 展示場はそのままコンサート会場になり現在も音楽愛好家たちに利用されているが、同館のオープン間もない4人の最期の揃い踏みの光景がビデオ映像に残されていて、涙を誘われた。髭をたくわえたパクさん(2011年1月7日逝去、77歳)の元気な姿がアップされ、カメラが引くとゲタさん(2016年3月26日逝去、85歳)とゾウさんの3人が歌っている。そこに療養中だったマンガさん(2016年6月20日逝去、84歳)が登場するサプライズ。会場はどよめき大きな拍手がわくなかで、パクさんに支えられながら歌いはじめるマンガさん。病をおして参加したにもかかわらず、現役時代そのままのセカンド・テナーが会場に響きわたったのである。4人はこの日、同館で合唱した記念として残していった手形が銅板のモニュメントとなって庭先に飾られている。
 NPO法人の同館はダークダックスのファンの方々のボランティアで運営されている。現在、開館する日は金曜日と限られているのは、年を追うごとに高齢化が進みボランティアが少なくなっているからだが、驚いたことに、訪ねたこの日同館の鍵を開けてくれたのは、40代の現役サラリーマン。「祖父が音楽好きで大のダークダックスのファン。私は小さい頃からダークを聴きながら育った。ダークを知る最後の世代です」といった。初めはファンとして訪れていたが、運営する人手が少ないことを知り、金曜日週一日なら公休を取って手伝える、と名乗り出たという。館林在住と思いきや、埼玉県からやってくる。

「声楽的な音楽として4人のハーモニーは、一人の声が際立って聴こえることではなくて自然に響き合い共鳴しているのです。ロシア民謡でも唱歌でも童謡でも、歌詞がしっかり分かりやすく入ってくる歌唱ですよね。ですから安心して聴いていられるのです。祖父も私も、今なら昭和の団塊世代から小さい子供まで幅広い層に受け入れられる音楽って他にないです。私の小学生の二人の息子たちもダークの楽曲を歌っています」

 1958年の第9回NHK紅白歌合戦に初出場し、第22回まで14回連続出場した後、1976年第27回に再出場。都合15回の出場を果たしている。ダークダックスの歌声がテレビやラジオから聴こえてこない日はなかった昭和の幸せな音楽とのふれあいを、再び蘇らせたいと願うのは、筆者だけではないだろう。

 文:村澤 次郎 イラスト:山﨑杉夫

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