24.08.15 update

もし「こんにちは赤ちゃん」を歌わなかったら、梓みちよは「二人でお酒を」でカムバックできなかったのではないか

 前回では、1960年代半ば世界的にヒットしたボサノヴァに触れ、そのDNAを受け継いでいると勝手に解釈してピンキーとキラーズの「恋の季節」を書いた。この56年前のリリースの大ヒット曲がよみがえってから、ボサノヴァ・ブームの1960年代をもう一度振り返ってみた。十代前半からボクは輸入洋楽のカヴァー曲を追っかけていた、というより日本の歌謡曲は、カンツォーネやシャンソンなど欧州系のヒット曲ばかりが流行っていて記憶に残っているというべきか。森山加代子がミーナの「月影のナポリ」をデビュー曲としてカヴァーしてヒットさせ(ほぼ同時期ザ・ピーナッツも競作してヒットした)、ペギー葉山は「ケ・セラ・セラ」、エンリコ・マシアスの「恋心」を岸洋子が歌い、高英男の「幸福を売る男」でシャンソンの匂いを嗅いだ。そして布施明のデビュー曲が「君に涙とほほえみを」で、イタリアのボビー・ソロのカンツォーネ風元歌も浮かんでくる。また、ザ・ピーナッツはテレビの露出も多く「キサス・キサス」、「悲しき16才」等は姉と一緒にテレビの前にかじりついたものだった。

 そんな洋楽の変遷とともに、日本の歌謡界もボサノヴァ・ブームにあやかろうとしていたのだろう。1962年キングレコードから、その名も「ボッサ・ノバでキッス(エッソ・ベッソ)」で梓みちよがデビュー(作詞:水島哲、作曲:J.Sherman、N.Sherman、編曲:宮川泰)。福岡女学院高校2年で退学し宝塚音楽学校に編入学、間もなく渡辺プロダクションのオーデションに合格して約一年間歌唱を学び、ポップスが得意の少女は、〝ボサノバ娘〟のキャッチフレーズを冠してラテン音楽のカヴァー曲で勇躍デビューしたというわけだ。当今は便利なもので、YouTubeで検索すれば、この62年前の梓みちよの楽曲を聴くことができる。驚いたことに、とてもまだ19歳の歌唱とは思えない堂々とした歌いっぷり。渡辺プロ社長の渡辺晋が名付けたという「梓」は、古典の「梓弓(あずさゆみ)」から「しなやかに強くなってほしい」との願いが込められているというが、まさに名は体を表していた。

 ほぼ一年間10曲あまりの洋楽カヴァー曲をリリースしたのち、その歌唱力と声量が買われたのか、彼女は作詞:永六輔、作曲:中村八大という大ヒットメーカーのオリジナル「こんにちは赤ちゃん」を、NHKの人気バラエティー番組の「夢であいましょう」の「今月の歌」として発表する僥倖に恵まれたのである。梓みちよがデビューした翌年の1963年(昭和38)7月のことである。「夢あい~」の今月の歌の反応は凄まじく、キングレコードは慌ててリリース、シングル盤が世に出たのは11月のことだった。この楽曲がいかにビッグヒットだったか、まず12月の第5回日本レコード大賞の大賞受賞、第14回NHK紅白歌合戦に初出場を果たし、梓みちよは彗星のごとく人気歌手となった。蛇足だが、紅組梓みちよに対抗した白組は、3回目出場の坂本九が「見上げてごらん夜の星を」を歌唱、同じ永六輔作詞(作曲:いずみたく)という興味をそそる粋な対抗戦の組み合わせだった。

 翌年の3月、選抜高校野球大会の開会式の入場行進曲にも採用され、5月には東京・文京区の椿山荘で開かれた学習院初等科同窓会に招待され、昭和天皇の御前で「こんにちは赤ちゃん」を歌唱する。明治時代以降として、日本の芸能界初の天覧歌謡曲となったことで話題沸騰した。東宝、日活ではストーリーこそ違うが同名で映画化もされた。町の商店街のあちらこちらのスピーカーから、「こんにちは赤ちゃん!」と歌唱する梓みちよの優しい歌声が流れた。ボサノヴァの力強い歌唱はすっかり鳴りを潜め、ママになり切った二十歳の梓みちよの母性的な歌唱に誰もが合わせるように口ずさみ和んでいた。後年(2016年7月)、84歳で永眠した永六輔を追悼したコメントに、「ママでもないのに、どう歌えばいいんですか?」と梓が泣きべそをかきながら問いかけると、「いいかい、胸に玉のようなかわいい赤ちゃんを抱いていると思って歌えばいいんだよ」と諭したというエピソードを梓は語っている。この一曲で人気歌手となってゆく梓みちよが誕生したと思うと、思わず胸が熱くなる挿話である。

 しかし、それほどの大ヒット曲が梓みちよを苦しめることになっていくとは、知る由もなかった。その後、NHK紅白歌合戦こそ連続7回出場(第15回「リンデンバウムの歌」、第16回「忘れたはずなのに」、第17回「ポカンポカン」、第18回「渚のセニョリーナ」、第19回「月夜と舟と恋」と続き、第20回では2度目の「こんにちは赤ちゃん」を歌唱)しているが、毎回大ヒット曲をたずさえての出場ではなかった。「赤ちゃんは10年以上眠ってしまった」と陰口すら聞こえた。「こんにちは赤ちゃん」の〝清純〟なイメージが重すぎたのか、長年コンサートでも封印するほどだった。「今さら私には似合わない」とうそぶいていたのである。

1 2

映画は死なず

新着記事

  • 2024.12.05
    雨の日に聴きたくなる「レイニーブルー」を歌った徳永...

    徳永英明「レイニーブルー」

  • 2024.12.03
    きわどい熟年女性の性愛表現から母の優しさまでフラン...

    『山逢いのホテルで』見どころ

  • 2024.12.03
    東京ステーションギャラリー「生誕120年 宮脇綾子...

    応募〆切: 1月20日(月)

  • 2024.12.02
    橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦・三田明の青春歌謡四天王...

    松竹青春歌謡映画のヒロイン 尾崎奈々

  • 2024.12.02
    大注目のボートレーサーが集結した「2025年 BO...

    応募〆切:12月20日(金)

  • 2024.11.28
    第5回【東宝映画スタア☆パレード】酒井和歌子&内藤...

    文=高田雅彦

  • 2024.11.28
    クリスタルキングが歌唱した「大都会」の唯一無二のハ...

    クリスタルキング「大都会」

  • 2024.11.27
    第55回【萩原朔美 スマホ散歩】いまどきのカバン考...

    見事な自己表現!

  • 2024.11.25
    クリスマス・イブに手塚治虫の歴史的名作が蘇る!映画...

    応募〆切:12月15日(日)

  • 2024.11.21
    「星影のワルツ」「北国の春」という2つの大ヒット曲...

    千昌夫「夕焼け雲」

特集 special feature 

わだばゴッホになる ! 板画家・棟方志功の  「芸業」

特集 わだばゴッホになる ! 板画家・棟方志功の 「芸業...

棟方志功の誤解 文=榎本了壱

VIVA! CINEMA 愛すべき映画人たちの大いなる遺産

特集 VIVA! CINEMA 愛すべき映画人たちの大いな...

「逝ける映画人を偲んで2021-2022」文=米谷紳之介

放浪の画家「山下 清の世界」を今。

特集 放浪の画家「山下 清の世界」を今。

「放浪の虫」の因って来たるところ 文=大竹昭子

「名匠・小津安二郎」の生誕120年、没後60年に想う

特集 「名匠・小津安二郎」の生誕120年、没後60年に想う

「いい顔」と「いい顔」が醸す小津映画の後味 文=米谷紳之介

人はなぜ「佐伯祐三」に惹かれるのか

特集 人はなぜ「佐伯祐三」に惹かれるのか

わが母とともに、祐三のパリへ  文=太田治子

ユーミン、半世紀の音楽旅

特集 ユーミン、半世紀の音楽旅

いつもユーミンが流れていた 文=有吉玉青

没後80年、「詩人・萩原朔太郎」を吟遊す 全国縦断、展覧会「萩原朔太郎大全」の旅 

特集 没後80年、「詩人・萩原朔太郎」を吟遊す 全国縦断、...

言葉の素顔とは?「萩原朔太郎大全」の試み。文=萩原朔美

喜劇の人 森繁久彌

特集 喜劇の人 森繁久彌

戦後昭和を元気にした<社長シリーズ>と<駅前シリーズ>

映画俳優 三船敏郎

特集 映画俳優 三船敏郎

戦後映画最大のスター〝世界のミフネ〟

「昭和歌謡アルバム」~プロマイドから流れくる思い出の流行歌 

昭和歌謡 「昭和歌謡アルバム」~プロマイドから流れくる思い出の...

第一弾 天地真理、安達明、久保浩、美樹克彦、あべ静江

故・大林宣彦が書き遺した、『二十四の瞳』の映画監督・木下惠介のこと

特集 故・大林宣彦が書き遺した、『二十四の瞳』の映画監督・...

「つつましく生きる庶民の情感」を映像にした49作品

仲代達矢を映画俳優として確立させた、名匠・小林正樹監督の信念

特集 仲代達矢を映画俳優として確立させた、名匠・小林正樹監...

「人間の條件」「怪談」「切腹」等全22作の根幹とは

挑戦し続ける劇団四季

特集 挑戦し続ける劇団四季

時代を先取りする日本エンタテインメント界のトップランナー

御存知! 東映時代劇

特集 御存知! 東映時代劇

みんなが拍手を送った勧善懲悪劇 

寅さんがいる風景

特集 寅さんがいる風景

やっぱり庶民のヒーローが懐かしい

アート界のレジェンド 横尾忠則の仕事

特集 アート界のレジェンド 横尾忠則の仕事

60年以上にわたる創造の全貌

東京日本橋浜町 明治座

特集 東京日本橋浜町 明治座

江戸薫る 芝居小屋の風情を今に

「芸術座」という血統

特集 「芸術座」という血統

シアタークリエへ

「花椿」の贈り物

特集 「花椿」の贈り物

リッチにスマートに、そしてモダンに

俳優たちの聖地「帝国劇場」

特集 俳優たちの聖地「帝国劇場」

演劇史に残る数々の名作生んだ百年のロマン 文=山川静夫

秋山庄太郎 魅せられし「役者」の貌

特集 秋山庄太郎 魅せられし「役者」の貌

役柄と素顔のはざまで

秋山庄太郎ポートレートの美学

特集 秋山庄太郎ポートレートの美学

美しきをより美しく

久世光彦のテレビ

特集 久世光彦のテレビ

昭和の匂いを愛し、 テレビと遊んだ男

加山雄三80歳、未だ青春

特集 加山雄三80歳、未だ青春

4年前、初めて人生を激白した若大将

昭和は遠くなりにけり

特集 昭和は遠くなりにけり

北島寛の写真で蘇る団塊世代の子どもたち

西城秀樹 青春のアルバム

特集 西城秀樹 青春のアルバム

スタジアムが似合う男とともに過ごした時間

「舟木一夫」という青春

特集 「舟木一夫」という青春

「高校三年生」から 55年目の「大石内蔵助」へ

川喜多長政 &かしこ映画の青春

特集 川喜多長政 &かしこ映画の青春

国際的映画人のたたずまい

ある夫婦の肖像、新藤兼人と乙羽信子

特集 ある夫婦の肖像、新藤兼人と乙羽信子

監督と女優の二人三脚の映画人生

中原淳一的なる「美」の深遠

特集 中原淳一的なる「美」の深遠

昭和の少女たちを憧れさせた中原淳一の世界

向田邦子の散歩道

特集 向田邦子の散歩道

「昭和の姉」とすごした風景

あの人この人の、生前整理archives

あの人この人の、生前整理archives
読者の声
Social media & sharing icons powered by UltimatelySocial
error: Content is protected !!