中尾ミエ、伊東ゆかりと〝スパーク3人娘〟を結成し、1960年代に「逢いたくて逢いたくて」「夢は夜ひらく」などヒット曲を連発し、清潔なお色気で男性のハートを撃ち抜いた 園 まり「何も云わないで」

 64年10月リリースのオリジナル楽曲「何も云わないで」が、NHK「今日の歌」で放送され、園まりにとって初の歌謡曲ヒットとなった。作詞は安井かずみ、作曲は宮川泰が手がけている。宮川泰らしいオーケストレーションの編曲が効果的な華やかな楽曲である。その後、66年にリリースした岩谷時子作詞、宮川泰作曲、森岡賢一郎編曲のムーディな「逢いたくて逢いたくて」が、大ヒットとなり、園まりのその後の楽曲のベースとなった。あまり口を開かずに歌う、情感豊かな歌唱は、〝園まり節〟とも呼ばれ、当時のランキング歌謡番組に常連として名を連ねることになった。3人娘の中でも女性らしいしっとりとした雰囲気が個性となり、特に男性のハートをしっかりとつかむことになった。岩谷時子は、日本レコード大賞作詞賞を、森岡賢一郎は編曲賞を受賞している。同年9月にリリースされた「夢は夜ひらく」も大ヒットを記録し、追随するように各社競作で多くの歌手が「夢は夜ひらく」をリリースした。園まりヴァージョンは、美空ひばりや西田佐知子、さらにはヘレン・メリルも日本語でカバーしている。そして、70年には藤圭子が歌った「圭子の夢は夜ひらく」が登場するのである。その後も、B面ながらヒットした「何でもないわ」、「帰りたくないの」、「つれてって」、「愛は惜しみなく」とヒット曲を連発し、TBS歌謡曲ベストテン、TBS歌のグランプリ、東京12チャンネル「ただ今ヒット中!」、NHK歌のグランドショー、フジテレビ「夜のヒットスタジオ」と、各局の歌謡番組で、ハイウエストのドレスの装いで歌う園まりの姿が見られた。

 歌のヒットにともない、主演映画も作られるようになり、66年には渡哲也、松原智恵子、和田浩治の共演で『逢いたくて逢いたくて』が、67年には高橋英樹、渡哲也、山本陽子の共演で『夢は夜ひらく』、杉良太郎、山本陽子の共演で『愛は惜しみなく』が、いずれも日活で映画化されている。2015年には振り込め詐欺のターゲットとなる老婆役で42年ぶりとなる映画『道しるべ』に出演していた。まさに、昭和は遠くなりにけり、といった感じだった。

 また、「小指の想い出」「女のみち」「ラブユー東京」など昭和にヒットした歌謡曲12曲を題材にした2007年の短編オムニバス映画『歌謡曲だよ、人生は』の第9話は園まりの「逢いたくて逢いたくて」で、『ウォーターボーイズ』の矢口史靖監督、妻夫木聡のコンビで制作された。

 66年、67年にはマルベル堂のプロマイド売上女性歌手第1位にも輝き、「月刊平凡」や、「月刊明星」の表紙にも数多く登場しているのは3人娘の中でも園まりならではである。「明星」では、66年6月号に舟木一夫と、12月号に三田明と、67年6月号に西郷輝彦と、68年1月号に舟木一夫と表紙を飾っている。

 NHK紅白歌合戦には1963年から連続6回出場しているが、63年と64年は〝三人娘〟として中尾ミエ、伊東ゆかりと一緒に出場し、初めて一人で出場したのは65年で「逢いたくて逢いたくて」を披露した。66年の対戦相手は舟木一夫で、「夢は夜ひらく」VS「絶唱」というこの年のヒット曲合戦という趣だった。園まりの代表曲と言えば「逢いたくて逢いたくて」か、「夢は夜ひらく」を紹介するところだが、園まりの歌謡曲人生のスタートという意味合いで、初のオリジナルヒット曲となった「何も云わないで」をクローズアップした。

 昭和で数えると2024年は昭和99年ということになる。テレビの歌謡番組を夢中で観ていた昭和40年代前半の中学時代。ブラウン管には、園まりの姿が映し出されていた。園まりは、間違いなく僕の昭和歌謡アルバムの1ページを飾る歌手だった。

文=渋村 徹 イラスト:山﨑杉夫

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