1987年7月17日、日本映画界を代表するトップ・スター石原裕次郎が52歳という若さでこの世を去って、早くも37年が過ぎた。今でも、命日近くには、戦後を象徴する俳優として、歌手としてテレビなどで特集が組まれ、人々の記憶から石原裕次郎の名が消えることはない。そういえば、市川雷蔵が亡くなったのも7月17日だった。石原裕次郎の日本映画界における出現は、それまでの二枚目俳優と呼ばれるいずれの俳優たちともまったく異なる新たな二枚目像を生み出した。
長い脚で戦後映画の古い壁を打ち破り、新たなヒーロー像を創り出し、日本映画に新しい季節が生まれた。石原裕次郎は、日本映画界の大きな太陽となった。2000年に発表された雑誌「キネマ旬報」の「20世紀の映画スタ-・男優編」で、日本男優の2位に選出されている。
兄である作家・石原慎太郎の芥川賞受賞作『太陽の季節』の映画化のとき、映画プロデューサー・水の江瀧子と慎太郎の推薦があって、高校のボクシング部員として端役でスクリーン・デビューしたのが56年のことだった。同年に『太陽の季節』に続いて製作された、やはり石原慎太郎原作の映画化作品『狂った果実』では、早くも主演を獲得した。同時に歌手デビューも果たしている。シングルレコードは「俺は待ってるぜ/狂った果実」のカップリング。以降、映画とレコードの両輪で人気がヒート・アップしていく。
映画では『乳母車』『陽のあたる坂道』『若い川の流れ』『あじさいの歌』『あいつと私』『若い人』といった石坂洋次郎原作作品にも多数出演しており、相手役は北原三枝や芦川いづみが務めた。60年代には日活ムード・アクションと呼ばれるジャンルを確立させている。『赤いハンカチ』を筆頭に、『夕陽の丘』『二人の世界』『帰らざる波止場』『夜霧よ今夜も有難う』『波止場の鷹』などが連作される。相手役はいずれも浅丘ルリ子で、裕次郎&ルリ子の黄金コンビが誕生するのである。桑野みゆきを相手役に迎えた『夜霧の慕情』というのもあった。
そのほかにも、高杉晋作を演じた川島雄三監督『幕末太陽傳』、三國連太郎共演の井上梅次監督『鷲と鷹』、歌も大ヒットした『嵐を呼ぶ男』(井上梅次監督)、『紅の翼』(中平康監督)、武者小路実篤の小説を原作にヨーロッパロケを敢行した『世界を賭ける恋』(滝沢英輔監督)、石原慎太郎原作『青年の樹』(舛田利雄監督)、浅丘ルリ子とは3年ぶりの共演で後のムード・アクションにつながる『銀座の恋の物語』に『憎いあンちくしょう』(いずれも蔵原惟繕監督)、火野葦平原作『花と竜』(舛田利雄監督)、石原プロモーション映画製作第1回作品で、裕次郎主演作で初のキネマ旬報ベストテン入賞作となった市川崑監督『太平洋ひとりぼっち』などなど、多くのヒット作に主演している。56年には日本映画テレビプロデューサー協会が選定するエランドール賞新人賞の第一回に、池内淳子、白川由美、川口浩、高倉健らと共に選ばれている。
同時に歌手としても、テイチクレコードから「錆びたナイフ」、「嵐を呼ぶ男」、「銀座の恋の物語」(牧村旬子とのデュエット)、「赤いハンカチ」、「夕陽の丘」(浅丘ルリ子とのデュエット)、「俺はお前に弱いんだ」、「二人の世界」、「逢えるじゃないかまたあした」、「こぼれ花」、「夜霧よ今夜も有難う」(カップリングは「粋な別れ」)、「恋の町札幌」、「別れの夜明け」(八代亜紀とデュエット)、「ブランデーグラス」とヒット曲をリリースしている。当然、NHK紅白歌合戦からも出演オファーがあったが、出演を固辞し、ついに歌手として出演することはなかった。やはり、映画の主題歌として作られたり、ヒット曲が映画化されるケースがほとんどだったが、ベストテンスタイルの歌謡番組には、いつもランクインしていた。