25.02.27 update

昭和44年NHK紅白に、寺山修司の劇団「天井桟敷」から躍り出たカルメン・マキの「時には母のない子のように」は黒人霊歌がルーツだった

 
 コモレバWEBマガジンの編集部の方々と、1969年(昭和44)12月31日の「第20回NHK紅白歌合戦」の再放送が話題になった。放送100年というくくりの中の特番と理解しているが、なぜ第20回が選択されたのか。憶測だが、リマスター版にしても他の年の録画状態がよくなかった、ヒット曲が多い年だった、新人スターが続出した、初出場の歌い手が多かった等々いろいろと理由があるのだろう。総じて言えば、「昭和歌謡の黄金時代」を最もあらわした紅白といえるのだろうと互いに合点した。

 初出場組を出場順にすると、いしだあゆみ「ブルーライト・ヨコハマ」、カルメン・マキ「時には母のない子のように」、奥村チヨ「恋泥棒」、ザ・キングストーンズ「グッド・ナイト・ベイビー」、由紀さおり「夜明けのスキャット」、森山良子「禁じられた恋」、佐川満男「今は幸せかい」、高田恭子「みんな夢の中」、内山田洋とクールファイブ「長崎は今日も雨だった」といった面々。司会をつとめた紅組の伊東ゆかり、白組の坂本九ももちろん歌唱した。当時の歌謡界を牽引していた美空ひばりはもとより歌謡界のビッグスターが勢揃いした年だった。まだロックやポップス系の歌手は少なく、といって演歌ばかりでもなくまさに歌謡曲隆盛の時代。

 自らの昭和44年を想起しながら、再放送の白黒の映像を凝視していると懐かしさの中にも、思いがけない発見がある。紅白の出場歌手たちはステージに設えられた階段に腰掛けて、先発組を応援し拍手しながら自分の出番を待っている。出場2回目の森進一は俯き加減で神妙だし、隣に座るやはり2回目の美川憲一もニコリともせず顔がこわばっているように見えた。紅組の中でも、借りてきた猫のように小さく膝を抱えるようにして座っているカルメン・マキと森山良子がいた。マキは、「時には母のない子のように」を歌唱する楽曲の題名そのものの佇まいだった。

 
 ところで、「Sometimes I Feel like A Motherless Child」(時には母のない子のように)は、アメリカで生まれた黒人霊歌である。寺山修司は、この哀しい黒人霊歌からインスピレーションを得て、「時には母のない子のように」を作詞したといわれている。アフリカからアメリカへ、親元から引き離されて連れられてきたが、もう二度と母の元には帰れない過酷な運命を悲しむ黒人労働者たちの魂の歌なのである。霊歌とはこの世での苦役を終えていつかは主イエスの御許に、という祈りである。この黒人霊歌は、ルイ・アームストロングがカバーしているし、ジャズのスタンダード・ナンバーの「セントルイス・ブルース」や「サマータイム」のメロディのルーツにもなっている。ボクにとっては、日本の「時には母のない子のように」のタイトルほうが先行したような気がしていて、「Sometimes I Feel like A Motherless Child」が後から追っかけてきたように感じている。

 当時、発売されたばかりの「時には母のない子のように」は、7インチのEPレコードのシングル盤で中心孔はドーナツ盤と同じではなかった。購入してからちょっと慌てた記憶がある。それはともかく、この哀しいフォークソング調の楽曲を、二十歳のぼくは擦り切れるようになるまで聴いていた。ジャケット代わりのペラの用紙に楽譜と歌詞が印刷され、バックに刷り込まれた、浜辺に立っているうつむき加減のカルメン・マキに惹かれた。歌詞とは別に、添え書きもあった。


 マキには故郷がない
 マキは海からやって来た
 一七才の野性の天使であり、詩を書く少女であり
 「天井桟敷」のアイドルでもある
 誰もマキの本名を知らない
       寺山修司

 
 作詞者の寺山修司の直筆のサインが付されていた。詩人・寺山による広告文案といってもいいのか、この5行詩から受けたイメージからいよいよ彼女は謎めいて、ボクの慕う気持ちをあおっていた。一緒に口ずさみながら、何度涙をながしたことか。

 ほとんどテレビでも見たこともないマキが、いくらレコードが売れたって紅白に出場できる柄じゃないないだろう、と思い込んでいたが、東京宝塚劇場の華やかなステージに立っている。人気芸人の藤田まこととなべおさみのお笑いの応援コントの後、ステージが暗転してスポットライトが当たるようにカルメン・マキが映し出される。佐良直美と森山良子のギターのつま弾きの前奏が哀しい。会場全体が重々しく静まりかえった。やがてアップに映し出されたマキは、驚いたことに堂々としている。肩までかかる縮れたロングヘア、濃いアイシャドーが妖艶さ増している。これが紅白初出場の17歳か、と、当時は誰も驚愕したことだろう。重い旋律に沿ったややかすれた声は、この年の2月21日にリリースされ歌手デビューしたとは思えない歌唱力。すでに大ヒットしているにも関わらず、投げやりな歌い方だ、やる気がないのか? と批判もあった。だがそれがカルメン・マキ流だった。会場は否が応でも静まり返り、マキの歌声を聴き入っている。後に、「寺山修司さんの作詞で、田中未知さんの作曲、素晴らしいこの楽曲をどう歌うか、私には大問題だった。もっとうまく歌唱する人は他にたくさんいるし、私は歌の基礎もない。うまくないんですよ。それで自分流の歌い方にするしかなかった」と告白している。自分流といえば、総合司会の宮田輝は、「お振袖やミニやパンタロンなど女性陣の衣装を見る楽しみもある紅白のステージですが、ジーパンが衣装になる時代が来たんですね」と時代の変化をそれとなく語っているが、そのステージでマキは裸足だったことも付け加えておこう。劇団「天井桟敷」に入団してまだ2年も経っていない少女が、反体制、反商業主義的アングラ劇団の臭いをまとっていたことは間違いないだろう。

 
 父はアメリカ人で、マキが生まれて間もなく帰国するが、母は病を得ていたため日本に残り母方の祖父母の下で育っている。香蘭女学校高校2年生で中退し、いずれはイラストレーターか役者になろうという希望はあった。だが、当てもないまま渋谷や新宿のディスコをうろつくお定まりのような不良生活。そんなぎりぎりに危うい少女は、寺山修司が主宰する劇団「天井桟敷」に出合って天啓のように入団する。わずか5カ月後の初舞台は新宿厚生年金会館。題名は「書を捨てよ、町へ出よう」といういわば家出がテーマの演劇だった。家出少女のようなマキにとってもってこいだったのかもしれない。

 歌手への道はその舞台がきっかけになった。出来たばかりのCBSソニーのディレクターの目に留まったのである。それからは、「ジェットコースターに乗った気分」で、わけも分からない大変化の日々。翌年、レコードデビューを果たし、紅白出場という激変人生を、わずか1年あまりの間に17歳の少女が辿っている。「時には母のない子のように」は累計100万枚を売り上げるミリオンセラーを記録。その後もしばらく寺山修司の下で、フォークソング・ブームに乗って個性派歌手としてアングラフォークと呼ばれる活動をするが、やがてジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ボブ・ディランらに刺激され、ロックに転向してゆく。フォークファンとしては残念だったが、マキの自分流のロック音楽は、1975年発売の「カルメン・マキ&OZ」というアルバムの高い評価につながった。

 カルメン・マキを名乗って55年をすでに超えた。〈マキ〉は、1993年に帰化するまでの本名〈マキ・アネット・ラブレイス〉からで、カルメンはある日突然浮かんだインスピレーションだったという。歌手生活も同じように年月を経ているが、いまでも、マキ流のライブ・ツアー・ミュージシャンとして活発だと聞く。ミリオンセラーの楽曲を背負いながら、芸能界の縛りが嫌いだった彼女そのままに、野性的で自由奔放な活動をしているに違いない。だが、時に演歌に涙するほぼ同世代のボクにとっては、今や遠い世界にいる母のない子になってしまったが。ボクもマキの本名を知らない。

文:村澤 次郎 イラスト:山﨑 杉夫

*参考文献 『フォークソング されどわれらが日々』(文藝春秋刊)

新着記事

  • 2025.03.17
    歌手として大ヒット曲「ブルー・ライト・ヨコハマ」を...

    いしだあゆみの悲しい訃報

  • 2025.03.17
    【お出かけ情報】厚木市・伊勢原市・秦野市を横断する...

    「丹大はるさんぽ」3/21~

  • 2025.03.17
    昭和の名作・ヒット作42本を一挙上映!!「昭和10...

    3月28日(金)~5月8日(木)

  • 2025.03.17
    【お出かけ情報】まるで黄金の絨毯!千葉県袖ケ浦「東...

    菜の花が見ごろ

  • 2025.03.16
    「箱根駅伝ミュージアム」開業20周年 箱根寄木細工...

    3月19日(水)~5月11日(日)

  • 2025.03.15
    徳川美術館開館90周年、 蒔絵の最高傑作として世界...

    「国宝 初音の調度」が展覧される

  • 2025.03.14
    現役ロマンスカーの運転士も納得のリアルな視界映像や...

    ロマンスカーで運転経験

  • 2025.03.14
    大河ドラマ「べらぼう」でも話題の平賀源内を主人公に...

    古典的なうりざね顔の美人

  • 2025.03.14
    韓国コスメセレクトショップ「&choa!(...

    応募〆切:4月25日(金)

  • 2025.03.14
    【お出かけ情報】東京さくらトラム(都電荒川線)の赤...

    3月14日~4月13日

映画は死なず

特集 special feature 

<特集>今、時代劇が熱い! 第三弾 主演北大路欣也が語る「三屋清左衛門残日録」~時代劇にはまだまだ未来がある~

特集 <特集>今、時代劇が熱い! 第三弾 主演北大路欣也が...

藤沢周平原作時代劇「三屋清左衛門残目録」の章

わだばゴッホになる ! 板画家・棟方志功の  「芸業」

特集 わだばゴッホになる ! 板画家・棟方志功の 「芸業...

棟方志功の誤解 文=榎本了壱

VIVA! CINEMA 愛すべき映画人たちの大いなる遺産

特集 VIVA! CINEMA 愛すべき映画人たちの大いな...

「逝ける映画人を偲んで2021-2022」文=米谷紳之介

放浪の画家「山下 清の世界」を今。

特集 放浪の画家「山下 清の世界」を今。

「放浪の虫」の因って来たるところ 文=大竹昭子

「名匠・小津安二郎」の生誕120年、没後60年に想う

特集 「名匠・小津安二郎」の生誕120年、没後60年に想う

「いい顔」と「いい顔」が醸す小津映画の後味 文=米谷紳之介

人はなぜ「佐伯祐三」に惹かれるのか

特集 人はなぜ「佐伯祐三」に惹かれるのか

わが母とともに、祐三のパリへ  文=太田治子

ユーミン、半世紀の音楽旅

特集 ユーミン、半世紀の音楽旅

いつもユーミンが流れていた 文=有吉玉青

没後80年、「詩人・萩原朔太郎」を吟遊す 全国縦断、展覧会「萩原朔太郎大全」の旅 

特集 没後80年、「詩人・萩原朔太郎」を吟遊す 全国縦断、...

言葉の素顔とは?「萩原朔太郎大全」の試み。文=萩原朔美

喜劇の人 森繁久彌

特集 喜劇の人 森繁久彌

戦後昭和を元気にした<社長シリーズ>と<駅前シリーズ>

映画俳優 三船敏郎

特集 映画俳優 三船敏郎

戦後映画最大のスター〝世界のミフネ〟

「昭和歌謡アルバム」~プロマイドから流れくる思い出の流行歌 

昭和歌謡 「昭和歌謡アルバム」~プロマイドから流れくる思い出の...

第一弾 天地真理、安達明、久保浩、美樹克彦、あべ静江

故・大林宣彦が書き遺した、『二十四の瞳』の映画監督・木下惠介のこと

特集 故・大林宣彦が書き遺した、『二十四の瞳』の映画監督・...

「つつましく生きる庶民の情感」を映像にした49作品

仲代達矢を映画俳優として確立させた、名匠・小林正樹監督の信念

特集 仲代達矢を映画俳優として確立させた、名匠・小林正樹監...

「人間の條件」「怪談」「切腹」等全22作の根幹とは

挑戦し続ける劇団四季

特集 挑戦し続ける劇団四季

時代を先取りする日本エンタテインメント界のトップランナー

御存知! 東映時代劇

特集 御存知! 東映時代劇

みんなが拍手を送った勧善懲悪劇 

寅さんがいる風景

特集 寅さんがいる風景

やっぱり庶民のヒーローが懐かしい

アート界のレジェンド 横尾忠則の仕事

特集 アート界のレジェンド 横尾忠則の仕事

60年以上にわたる創造の全貌

東京日本橋浜町 明治座

特集 東京日本橋浜町 明治座

江戸薫る 芝居小屋の風情を今に

「芸術座」という血統

特集 「芸術座」という血統

シアタークリエへ

「花椿」の贈り物

特集 「花椿」の贈り物

リッチにスマートに、そしてモダンに

俳優たちの聖地「帝国劇場」

特集 俳優たちの聖地「帝国劇場」

演劇史に残る数々の名作生んだ百年のロマン 文=山川静夫

秋山庄太郎 魅せられし「役者」の貌

特集 秋山庄太郎 魅せられし「役者」の貌

役柄と素顔のはざまで

秋山庄太郎ポートレートの美学

特集 秋山庄太郎ポートレートの美学

美しきをより美しく

久世光彦のテレビ

特集 久世光彦のテレビ

昭和の匂いを愛し、 テレビと遊んだ男

加山雄三80歳、未だ青春

特集 加山雄三80歳、未だ青春

4年前、初めて人生を激白した若大将

昭和は遠くなりにけり

特集 昭和は遠くなりにけり

北島寛の写真で蘇る団塊世代の子どもたち

西城秀樹 青春のアルバム

特集 西城秀樹 青春のアルバム

スタジアムが似合う男とともに過ごした時間

「舟木一夫」という青春

特集 「舟木一夫」という青春

「高校三年生」から 55年目の「大石内蔵助」へ

川喜多長政 &かしこ映画の青春

特集 川喜多長政 &かしこ映画の青春

国際的映画人のたたずまい

ある夫婦の肖像、新藤兼人と乙羽信子

特集 ある夫婦の肖像、新藤兼人と乙羽信子

監督と女優の二人三脚の映画人生

中原淳一的なる「美」の深遠

特集 中原淳一的なる「美」の深遠

昭和の少女たちを憧れさせた中原淳一の世界

向田邦子の散歩道

特集 向田邦子の散歩道

「昭和の姉」とすごした風景

あの人この人の、生前整理archives

あの人この人の、生前整理archives
読者の声
Social media & sharing icons powered by UltimatelySocial
error: Content is protected !!