ドーナツ盤企画では、これまでにも黛ジュン、小川知子、奥村チヨ、いしだあゆみなど、1960年代後半にヒット曲を出し、数々のテレビの歌番組でキュートな姿を披露していた女性歌手たちを紹介しているが、ここで、もう一人紹介しておきたい歌手がいる。「虹色の湖」の中村晃子だ。
中村晃子は、1962年の高校在学中に、ミス・エールフランスコンテストで最終審査まで進んだことがきっかけとなり、松竹大船撮影所から声をかけられ、撮影所の奨学生制度の一人としてスクリーンデビューを果たし、64年には正式に松竹の専属女優となった。
曽野綾子原作、川頭義郎監督、倍賞千恵子主演の『海抜0米』、寺山修司原作、鰐淵晴子、田中絹代、森光子共演の『この空のある限り』、田村正和主演の『俺たちの恋』、曽野綾子原作、中村登監督、桑野みゆき、田村正和主演で、倍賞千恵子やいしだあゆみも顔を見せている『ぜったい多数』など、いずれも田村正和との共演で、コンビとして売り出されていたようだ。だが、注目されるにはいたらなかった。
ぼくが初めて中村晃子を意識したのは、65年から70年に放送されていたアメリカのテレビドラマ「かわいい魔女ジニー」だ。同時期に放送されていた「奥様は魔女」と人気を二分するほどの視聴率を獲得していた。ちょっとした魔女ブームだった。原作・脚本・製作は、『ゲームの達人』や『真夜中は別の顔』で知られる小説家シドニー・シェルダンで、小さな壺の中に閉じ込められ、南の島に漂着していたアラビア風の衣装の魔女・ジニーが、遭難してきたNASAの宇宙飛行士トニーに解放され、そのままトニーの住むフロリダについてきて、トニーを喜ばせるために魔法を使い大騒動を巻き起こすシチュエーション・コメディだ。
ジニーにバーバラ・イーデン、トニーにはテレビドラマ「ダラス」で知られるラリー・ハグマンという配役。中村晃子はジニーの吹替を担当していた。いたずら好きで、可愛いお色気で、トニーに「殿(との)~」とかわいらしく甘える中村晃子の声がすばらしくチャーミングだった。トニーの声を担当した俳優・小山田宗徳、トニーの友人ロジャーの声を担当した愛川欽也のやりとりが笑いを誘い、この吹替陣の声の演技により、このドラマの面白さが倍増していると思えるほどだった。
声の演技ということで言えば、中村晃子はその後もテレビドラマ「チャーリーズ・エンジェル」のファラ・フォーセット、映画『天使にラブ・ソングを…』のテレビ放映時のウーピー・ゴールドバーグの吹替も担当している。確か、『殿方ご免あそばせ』のブリジット・バルドーも中村晃子だったと記憶している。
そんな魅力的な声の中村晃子が歌手としてレコード・リリースしたのは65年のことで、デビュー曲は「青い落葉」。ほとんど歌手として歌謡番組に出演することもなく、7枚目のシングルとなる「虹色の湖」をリリースしたのは67年10月10日だった。作詞は三橋美智也「哀愁列車」、仲宗根美樹「川は流れる」、倍賞千恵子「下町の太陽」などキングレコード所属として数々のヒット曲を生み出した横井弘。作曲は「月光仮面」、NHK連続テレビ小説「おはなはん」、「ありがとう」(京塚昌子と佐良直美が母娘を演じた第4シリーズ)、新珠三千代主演で高視聴率をかせいだ「細腕繫盛記」などのテレビ音楽や、倍賞千恵子の「さよならはダンスの後に」の作曲も手がけた小川寛興。編曲は梓みちよ「二人でお酒を」、天地真理「水色の恋」、伊東ゆかり「小指の想い出」、郷ひろみ「よろしく哀愁」、小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」などの森岡賢一郎が手がけている。
当時は、グループ・サウンズ全盛の時期で、編曲、演奏は〝一人GS〟風と評判で、イントロからしてまさに女性ソロ・シンガーが歌うGSサウンドそのもので、80万枚を売り上げるヒット曲となった。オリコン週間チャートでも3位まで上昇し、年間ランキングでも68年度年間23位を記録している。もちろん、68年のNHK紅白歌合戦にも初出場を果たした。
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