その後「Tシャツに口紅」「今夜はフィジカル」「唇にナイフ」「夢で逢えたら」など9枚のシングルをリリースしたが個人の活動がふえ、田代まさし、桑野信義らはタレント活動で人気者になり、音楽以外の道に進むものもいた。鈴木はソロとして86年2月26日「ガラス越しに消えた夏」(作詞・松本一起、作曲・大沢誉志幸)をリリース、ギターは布袋寅泰が担当している。この曲は、インスタント食品のカップ麺のCMとタイアップだった。YouTubeを見直してみると砂漠を走るライダーという思いもよらぬ組み合わせで、スケールが大きく映像も美しい。昨今、多くのタレントの起用で購買意欲を図ろうとする商品が目立つが、当時のCMの秀逸さに驚かされた。
いまや〝ラブソングの王様〟と称される鈴木雅之だが、45年の輝かしい軌跡を追うと、その原点になるのは、姉の鈴木聖美の存在があったと言っても過言ではない。聖美を「My Soul Sister」とリスペクトしているのだ。
東京の大田区で旋盤工場を営む父のもとで育った鈴木姉弟だったが、雅之は4歳上の聖美の影響で小学生の頃からラジオから流れるR&B、アメリカンポップス、グループサウンズに目覚めるのだった。中学生になって同級生の兄からギターを習い、フォークバンドを結成するなど早くから音楽にのめり込んでいた。同じように姉の聖美もバンドでボーカリストを務め数々のコンテストで優勝していた。プロの誘いもあったが、結婚して2児の母となり音楽とは離れた仕事をしていたが、雅之の勧めで、「シャネルズ」のステージに時々「おねーちゃんコーナー」として参加。そのうち作曲家の井上大輔らの目に留まり評価されていた。87年4月1日、雅之の後押しもあって「シンデレラ・リバティ」でメジャーデビュー。その後同年7月1日にデュエット曲「ロンリー・チャップリン」(作詞・岡田ふみ子、作曲・鈴木雅之)をリリースしたのである。聖美は、作曲家や弟のお墨付きをもらうだけあって、初めて聴いたときにはパンチのある歌唱力に圧倒された。二人のハモリも抜群に心地良く、間奏に入るトランペットの響きもいい。哀愁のある歌詞なのだが、暗さはまったくなくノリがいいのだ。
そのうえ解散した「ラッツ&スター」のメンバーがバックで軽くスイングしながらコーラスを務める。「シャネルズ」時代から、メンバーが鈴木の家に泊まったときなど、「朝めし食っていけよ」というくらい鈴木家は温かったのだ。「おねーちゃん」をオレたちも助けるんだという優しい気持ちが伝わってくる。