
いよいよ入梅も間近というこのうっとうしい季節、歌謡曲の世界では、この季節を愉しむことができる〝雨〟を歌った名曲がたくさんある。西田佐知子「アカシアの雨がやむとき」、小柳ルミ子「京のにわか雨」、小川知子「銀色の雨」、徳永英明「レイニーブルー」、井上陽水「傘がない」、中西保志「最後の雨」、稲垣潤一「ドラマティック・レイン」、小泉今日子「優しい雨」、森高千里「雨」……。そして城之内早苗が歌った「あじさい橋」もそんな一曲だ。
城之内早苗は、1985年5月にフジテレビのバラエティ番組「夕やけニャンニャン」のオーディション・コーナーに出場、合格しておニャン子クラブ会員番号17番となった。「夕やけニャンニャン」は、〝放課後〟をコンセプトに平日夕方の時間帯でメイン視聴者層に中高生を据えた番組だった。83年から放送が始まった土曜深夜の生放送番組「オールナイトフジ」が女子大生ブームを巻き起こすほど社会現象となり、番組アシスタントの女性グループ、オールナイターズもアイドル的な人気となったことから、選抜による女子高生11人でおニャン子クラブを結成し、番組の放送開始とともにアシスタントとして出演させた。
おニャン子には会員番号制度というものがあって、自己紹介で彼女たちは会員番号と自分の名前を名乗り、ファンの男の子たちにとっても会員番号を含めてが芸名みたいな感じだった。最初11人でスタートしたおニャン子だったが、番組内のオーディション・コーナーでの合格者が加わり、その後卒業、新加入などを繰り返し87年の解散時には19人が在籍しており、日本で最初の大人数アイドル・グループと認識される。
秋元康はおニャン子クラブの仕掛人ではなかったが、「夕やけニャンニャン」の構成を担当しており、おニャン子クラブの全楽曲の作詞も手がけている。後に総合プロデユーサーとして関わるAKB48とは立場が異なるが、その後も乃木坂46などいくつものグループを立ち上げ、多くのアイドルたちを誕生させているのを見ていると、それまでの遠い手の届かない存在であったアイドルとは異なる身近なアイドルという意味において、おニャン子クラブは、その先がけであったと思える。