おニャン子クラブのメンバーを紹介すると会員番号4番新田恵利、8番国生さゆり、11番福永恵規、12番河合その子、16番高井麻巳子、17番城之内早苗、29番渡辺美奈代、36番渡辺満里奈、38番工藤静香など多彩で、引退した者もいるが、国生さゆりは俳優として、工藤静香は歌手としてと、まだまだ現役として活動中のメンバーもいる。
85年にシングル「セーラー服を脱がさないで」でレコード・デビューするやオリコン週間チャートで5位を獲得、同年にリリースした2曲目「およしになってねTEACHER」は2位、翌年リリースした3枚目のシングル「じゃあね」ではついに1位を獲得する。また、工藤静香、生稲晃子、斉藤滿喜子による「うしろ髪ひかれ隊」などのユニットなども結成されヒット曲を出した。
85年9月には、河合その子がおニャン子メンバー初のソロ・デビューを「涙の茉莉花LOVE」でオリコン週間チャート初登場5位で果たし、翌週には1位を獲得している。その後も「哀愁のカルナバル」などのヒット曲を出している。河合その子に続きメンバーたちは次々とソロ・デビューを果たし人気のほどを証明してみせる。
立ち上げメンバーの新田恵利は86年1月に「冬のオペラグラス」で初登場1位、2月にはやはり初期メンバーの国生さゆりは「バレンタイン・キッス」で初登場2位、7月に初登場1位「瞳に約束」でソロ・デビューした渡辺美奈代は、オリコンでデビュー曲から5作連続1位という記録を達成している。10月に15歳11か月で「深呼吸して」でソロ・デビューし初登場1位となった渡辺満里奈は、それまで山口百恵が保持していた女性ソロ歌手のオリコン1位獲得最年少記録を更新した。そして「夕やけニャンニャン」最終回放映日の87年8月、工藤静香は「禁断のテレパシー」でソロ・デビューし1位を獲得した。
さて、城之内早苗は85年5月10日に会員番号17番としておニャン子クラブに加入し、87年9月20日解散時のメンバーでもあった。ソロ・デビューシングル「あじさい橋」がリリースされたのは、86年6月11日、まさに梅雨の季節だった。作詞は秋元康、作曲は見岳章という、その後89年1月11日に美空ひばりの生前最後のリリース曲となった「川の流れのように」のコンビである。美空ひばりは89年6月24日に鬼籍に入った。