名プロデューサー・石井ふく子に口説かれて出演したホームドラマで女優として開眼し、主題歌「ありがとうの歌」を歌唱した国民的歌手・水前寺清子

 
 日本で初めてのテレビドラマは、1940年(昭和15)に、東京の砧にあったNHK技術研究所の仮スタジオから実験放送された「夕餉前」だと記録されている。戦後本格的なテレビ放送がNHKで1953年2月1日に始まり、その年の11月から全13回にわたって放送された、「幸福への起伏」が連続ドラマの始まりになるようだ。作家の今日出海(こん ひでみ)が、没落した資産家一家をモデルに、家族の幸福とは何かを描いたホームドラマで、本作には俳優座結成に参加した村瀬幸子や俳優座養成所第一期生の岩崎加根子も出演している。この時期のテレビの普及率は全世帯の約8%、庶民には手の届かない高級品だった。1959年4月10日の皇太子殿下ご成婚パレードの中継、64年10月の東京オリンピックの放送によりテレビの普及は加速し、60年代後半には90%を超える世帯がテレビを所有するようになった。

 1961年4月にはNHK連続テレビ小説(朝ドラ)の第1作「娘と私」、63年4月には大河ドラマ「花の生涯」も始まっている。幕末の大老・井伊直弼の生涯を描いた「花の生涯」には尾上松緑(二代目)、淡島千景、香川京子、佐田啓二、八千草薫らが出演した。当時テレビは「電気紙芝居」と言われ、映画に負けない時代劇をつくろうと、必死だったようだ。

 70年代になるとテレビが一家に一台、家族そろって同じ番組をみることが最大の娯楽になった。「肝っ玉かあさん」「ありがとう」「時間ですよ」「傷だらけの天使」「必殺仕事人」「木枯し紋次郎」「寺内貫太郎一家」などのたくさんの傑作ドラマが次々に誕生した。

 なかでも、「ありがとう」は母が大好きなドラマだった。水前寺清子と山岡久乃が母娘役で、二人の丁々発止のかけあいがテンポよく、母は時に笑い、時に泣き、夢中になってみていた。TBS系木曜日20:00からの放送枠で、水前寺清子が歌う明るく元気な「ありがとうの歌」が冒頭流れると、「おかあさん~、始まるよ~」と声をかけたものだ。現在、BS12で「ありがとう」の第2と第3シリーズが放送されている。久しぶり第3シリーズをみたのだが、主題歌の「ありがとうの歌」は一緒に口ずさめるほどしっかり記憶されていた。


「ありがとう」は、1970年4月から1975年4月にわたり、脚本は直木賞作家の平岩弓枝、プロデューサーの石井ふく子により手がけられた。婦人警官編、看護婦編、魚屋編とその都度主役の職業は変わっていたが、母娘中心というホームドラマで一貫していた。第2シリーズは、総合病院を舞台に看護婦の水前寺と、小児科医の石坂浩二の恋模様が人気を博し、民放ドラマ最高視聴率56・3%をたたき出している。


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