80年目の終戦記念の年に、作詞・阿久悠、五木ひろしが自ら作曲し歌唱した「契り」に耳を傾け平和を祈りたい


 阿久悠とコンビで多くのヒット曲を出した、現在は文化庁長官も務める作曲家の都倉俊一にも、「五木君は、日本で一番、日本語を美しく歌う歌手ですよ」と言わしめている。1982年NHK紅白歌合戦のトリ前で「契り」を歌唱、2007年の紅白では、この年に亡くなった阿久悠の追悼として大トリで歌った。大晦日「愛する人よ、健やかに……」という五木の歌唱を聴いて心穏やかに年越しをした覚えがある。

 五木ひろしは、1965年に歌手デビューした。しかし2度も芸名を変えるという不遇の時代が5年ほど続く。ヒット曲に恵まれない歌手にとっては再起を賭ける登竜門的なオーディション番組「全日本歌謡選手権」に出場するか逡巡した。落選すればプロ歌手としての烙印を押されることになる。「これでダメだったら故郷の福井で農業をやる」と背水の陣で挑んだところ10週連続勝ち残り、グランドチャンピオンとなってレコード歌手として再デビューできる権利を獲得した。因みに八代亜紀もこの番組から再起した。

 審査員の平尾昌晃、山口洋子の擁護により再歌手デビューが叶い、山口洋子が「いいツキをひろおう」という意味を込めて芸名「五木ひろし」と命名。1971年3月に「よこはま・たそがれ」(作詞・山口洋子、作編・平尾昌晃)で再デビュー。その年の日本レコード大賞歌唱賞を受賞し紅白歌合戦の初出場を果たした。それから2020年まで連続50回という出場回数は、歴代1位である。通算のトリの回数は13回であるが、これは美空ひばり、北島三郎と並んでこちらも歴代1位である。日本レコード大賞では、「夜空」(73)、「長良川艶歌」(04)で2回大賞を受賞している。まさに歌謡界の大御所的存在である。それに甘んじず、毎年1、2枚のシングルも出し続け、伝統芸能の上演を主とする国立劇場で、「日本歌謡史100年! 五木ひろし in国立劇場」(07)、と「日本歌謡史100年~昭和篇~」(08)と2回、歌謡曲歌手として初めてスペシャルコンサートを開催している。

 
 映画『大日本帝国』は、太平洋戦争を背景に、戦争に巻き込まれていく人々の悲劇を描き、一方で、開戦から敗戦までの日本の歴史を東条英機という人物を軸に描いた。東条英機を丹波哲郎が演じ、『二百三高地』(80)の舛田利雄監督、笠原和夫が脚本のコンビの作品で、東映の戦史3部作の一作になる。

 製作発表には主要人物を演じた丹波哲郎、三浦友和、篠田三郎、あおい輝彦の4人は、劇中で着る軍服姿で登場したという。京都大学の学生だった江上(篠田三郎)は海軍航空隊に入り、その恋人の京子(夏目雅子)との悲しい別れ、いつも冷静な判断力を持ち合わせ、部下思いの小田島少尉(三浦友和)は、砂浜で遊ぶアメリカ軍のカップルが、死者の頭蓋骨でキャッチボールをしている姿に逆上し銃を奪って発砲するが、女性兵士に反撃され殺されてしまう。心が痛くなるような辛い描写だったが、思いもしない展開は、さすが力量のある脚本家の成せる技だと感心した。

 救われたのが、命からがら復員した幸吉(あおい輝彦)が、戦火を生き延びた妻(高橋惠子)と息子と海岸で再会を果たすのだ。歩み寄った3人が硬く抱き合う。その場面に「契り」が流れる。壮大なイントロ、美しい歌詞を淡々と歌う五木の歌唱に心が震えた。もし、戦争がなかったら、『大日本帝国』の登場人物である東条、江上、小田島ら出征したものたちは健やかな日々を送っていたに違いない。

 
 今年も80回目の終戦記念日が間もなくやってくる。世界を見渡すと、不幸な争いが続いている。改めて『大日本帝国』を観て、五木ひろしの「契り」を聴くと、平和な世界であることを切に願うばかりである。

文=黒澤百々子 イラスト=山﨑杉夫


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