わが昭和歌謡はドーナツ盤

伸びのあるシルキー・ボイスで歌い上げた〝カ・イ・カ・ン〟なデビュー曲で少女は世代のアイドルになった 薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」


 中学一年のときに角川映画『野性の証明』のオーディションで優勝し、1978年に同作で映画デビューを果たした薬師丸ひろ子。半世紀近く第一線で活躍を続ける息の長い女優だ。しかも、デビュー以来、映画にこだわるかのように映画で主演を張り続け、映画女優との印象を強く人々に刻み込んだ。デビュー作で共演した高倉健の影響だろうか、それとも当時所属していた角川の戦略だったのだろうか。97年に出演した連続ドラマ「ミセスシンデレラ」あたりからは、テレビドラマにも出演するようになり、現在では、映画やテレビドラマに欠かせない女優という大きな存在となっている。

 そして、薬師丸ひろ子には歌手というもう一つの顔があり、現在は以前にも増して精力的に音楽活動を行っている。音楽活動のスタートが81年11月21日にリリースされたデビューレコード「セーラー服と機関銃」だった。


「セーラー服と機関銃」は、『翔んだカップル』、『ねらわれた学園』に続く81年公開の薬師丸ひろ子4作目の映画となる同名映画の主題歌で、『翔んだカップル』の相米慎二監督と2度目のタッグとなった。時間をかけ厳しく演技指導に当たる相米監督を、監督から映画への参加資格をもらっているようだと薬師丸は感じとり、相性が非常に良かったという。2001年に相米慎二が亡くなったときの「キネマ旬報」の相米慎二追悼特集で、生身の姿を人前にさらけ出す覚悟がカメラの前に立つには必要であること、演じることの厳しさ、怖さを相米監督から教わったと薬師丸は話している。さらに、相米監督との時期があったからこそ、女優を続けられているとも。映画『セーラー服と機関銃』で、薬師丸がセーラー服姿で機関銃を乱射しヘロインの瓶を吹き飛ばし「カ・イ・カ・ン」とつぶやくシーンが話題になり、テレビスポットなどでも流されていたので、一躍映画の知名度を上げることにもなった。そして薬師丸ひろ子の人気を決定的なものにした。

 主題歌を薬師丸ひろ子に歌わせると主張したのも相米監督だった。この時点で、薬師丸ひろ子は映画界のアイドルから、世代のアイドルとなった。作詞は来生えつこ、作曲は来生たかお、編曲は星勝が手がけている。当初は主題歌を来生たかお「夢の途中」で進行していたが、さまざまな経緯があり、主題歌は薬師丸ひろ子が歌うことになった。レコードリリースは「夢の途中」が81年11月10日と早かったが、一部歌詞に相違がある「セーラー服と機関銃」はリリース前から予約が殺到し、発売されるやたちまちオリコン週間チャート1位を獲得し5週連続1位を続け、TBS系の「ザ・ベストテン」でも3週連続1位の座についた。

 その影響で、当初オリコン週間チャートで200位前後だった来生たかおの「夢の途中」もランキングの上昇を続け、82年3月にはオリコン週間チャート4位まで上り、有線では1位を獲得し、来生たかおの最大のヒット曲となった。来生には楽曲提供の依頼が殺到するというおまけまでついた。

 
 
 そう言えば、『セーラー服と機関銃』の前作である大林宣彦監督『ねらわれた学園』の音楽は松任谷由実(ユーミン)が担当し、ユーミンが歌う主題歌「守ってあげたい」も大ヒットしている。薬師丸ひろ子とユーミンとの縁の始まりである。その後、薬師丸ひろ子が主演する映画では薬師丸自身が主題歌も担当することがほとんどだった。83年の根岸吉太郎監督、松田優作共演の『探偵物語』の同名主題歌は、作詞・松本隆、作曲・大瀧詠一、編曲・井上鑑で、2013年末に急逝した大瀧詠一を追悼するNHK「SONGS」では、薬師丸は「探偵物語」の歌唱に加えて、生前の大瀧のボーカル・トラックと鈴木雅之共演の「夢で逢えたら」にも参加し、自身のコンサートでも「夢で逢えたら」をたびたび披露している。84年の森田芳光監督『メイン・テーマ』の同名主題歌「メイン・テーマ」(作詞:松本隆、作曲:南佳孝、編曲:大村雅朗)もヒットし、作曲の南佳孝が歌う「スロー・バラード」は、同じ旋律で、歌詞が一部異なり男性目線で綴られている。「セーラー服と機関銃」と「夢の途中」の関係性と同じだ。

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