わが昭和歌謡はドーナツ盤

ソロデビュー40周年、難病復帰から5年、還暦を過ぎても純白のドレスに違和感のないシンガー・ソングライター岡村孝子の人生の応援歌「夢をあきらめないで」

 もともと岡村は同じ大学に通う加藤晴子と大学2年生の時に、デュオ「あみん」で1982年にデビューした。前年の81年にヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)でグランプリを獲得して、そのとき歌った「待つわ」がデビュー曲になった。

 82年といえば、「花の82年組」といわれる中森明菜、小泉今日子、松本伊代、早見優、堀ちえみ、石川秀美、シブがき隊などがデビューした年だ。『Can Cam』(82年 小学館)、『Olive』 (82年 平凡出版・現マガジンハウス)、『ViVi』(83年 講談社)、『Ray』 (83年 主婦の友社)と、20、30代をターゲットにした女性誌が次々と創刊され、そのなかで、「女子大生」というブランドができた時代だ。さらに、83年4月に放送を開始した「オールナイトフジ」に出演している女子大生たちは、「オールナイターズ」と称され、「女子大生ブーム」が起きた。

 そんな潮流の中、「あみん」の二人は華やかな女性誌の女子大生とは一線を画し、むしろ対極にあった。純朴で控えめで一生懸命な二人だった。それが新鮮だった。「待つわ」は、離れていった恋人が、(ほかの誰かに)ふられるまで待つという情念の深さを、さわやかなハーモニーで清々しく歌い、予想をはるかに超える大ヒットになった。「ザ・ベストテン」でランクインし、82年のオリコン年間売り上げ1位、その年の紅白歌合戦にも初出場した。

 目まぐるしく変わる環境についていけなくなった二人は、「待つわ」「琥珀色の想い出」「心こめて 愛をこめて」「おやすみ」の4枚のシングルと、『P.S.あなたへ…』『メモリアル』の2枚のアルバムと鮮烈な記憶を残し、1年半で「あみん」は解散した。
 余談ではあるが、4枚のシングルの編曲は萩田光雄。萩田は布施明の「シクラメンのかほり」、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」、中島みゆきの「ひとり上手」、中森明菜「セカンド・ラブ」「少女A」、山口百恵の「横須賀ストーリー」、久保田早紀の「異邦人」などを挙げればキリがないが、天才アレンジャーといわれる数々のヒット曲の仕掛け人だ。デュオの「あみん」は、岡村がファンだったさだまさしの楽曲「パンプキン・パイとシナモン・ティー」に出てくるカフェ「安眠」からつけたという。


 解散後一度故郷に戻ったが、アマチュアでもいいから自分の曲を聴いてもらえるような活動をしたいと、曲を書きはじめていたらレコード会社から声がかかり、85年にソロデビューとなった。「風は海から」「今日も眠れない」、来生たかおが歌唱した「はぐれそうな天使」、「夏の日の午後」とシングルをリリースし、5枚目の「夢をあきらめないで」を1987年2月4日にリリースした。ソロとしてデビューしたばかりの頃は、「あみん」の片割れというみられ方だったのが、シンガー・ソングライター、岡村孝子として認められ、彼女の代表曲になった。

 さらに、岡村のつくる楽曲が、若い会社勤めの女性の気持ちを代弁したような曲が多く、90年代になると「OLの教祖」と言われるようになった。特に、通勤電車をテーマにした「電車」の曲の一節など私のことを歌っているじゃないのと、深くうなずいてしまった。

 岡村には良家の子女の雰囲気と、素朴で飾らない清潔な美しさがあったことも、「教祖」といわれ敬意を払われる要素だったような気がする。

 岡村孝子の最愛のお嬢さんも、「夢をあきらめないで」から生まれたと言っても過言ではない。名曲は、人生の応援歌なのだとつくづく感じる。そしていつまでも変わらぬ美少女然とした姿を見せ続けて欲しい。

文=黒澤百々子 イラスト=山﨑杉夫

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