順位を追わずに列挙してみると、前記の尾崎、五木を除いても、「17才」南沙織、「わたしの城下町」小柳ルミ子、「雨の御堂筋」欧陽菲菲、「真夏の出来事」平山三紀、「*京都慕情」渚ゆう子、「*知床旅情」加藤登紀子、「*傷だらけの人生」鶴田浩二、「ナオミの夢」ヘドバとダビデ、「花嫁」はしだのりひことクライマックス、「*望郷」森進一、「さらば恋人」堺正章、「あの素晴らしい愛をもう一度」加藤和彦と北山修…枚挙にいとまがない(*印は前年発売)。まさに日本の歌謡曲全盛期といえないだろうか。遅咲きといえども「雨のバラード」の大健闘ぶりが俯瞰できるというものだ。
しかし以後、湯原昌幸は歌手としては低迷し案の定〝一発屋〟と揶揄されるが、彼はマルチタレントといわれる逞しさがあった。本業は歌手だが、タレント、俳優、司会者と多能ぶりを発揮。コメディアンとしてせんだみつおとコンビを組んだり、バラエティ番組のパネラーやレポーターを務めたり、器用にこなすから引っ張りだこ。それでも2003年、本業である歌手として『冬桜』(作詞:たきのえいじ、作曲:杉本眞人)のCDを発表し、団塊の世代の間で歌い繋がれている。いわばロングセラーともいえ、2004年第37回日本有線大賞・有線音楽優秀賞を受賞、どっこい〈歌手・湯原昌幸〉は生きている。
話は前後するが1983年、前述のように、荒木由美子と結婚。13歳下の美貌の荒木を射止めた36歳の湯原に、世間の男たちから羨望のまなざしが注がれた。荒木は歌手デビュー前にシャンプーのCMに出演、肩をポンと軽く叩かれて振り向きながら、「もうフケ、なしね」と発する映像を記憶している人も多かろう。美人で魅力的な女性だった。その荒木にとって結婚とは芸能界からあっさり身を引くことだった。
だが、湯原と荒木にとっての結婚生活は、痴呆がすすむ母親の介護生活の始まりでもあったのだ。一人息子の湯原でさえ、実母の首に手をかける寸前、荒木の悲痛な叫びでとどまったという。その壮絶な筆舌に尽くしがたい老親の介護生活20年の記録は、荒木由美子自身が書き下ろした著書『覚悟の介護』(ぶんか社、2004年4月10日初版発行)に詳しい。涙なくして読めない実録である。荒木由美子という女性が歳の差を越えて湯原昌幸と出会い結ばれた覚悟、嫁として姑の介護をいとわず愚痴をこぼす暇もなかった献身、夫唱婦随の42年があって、いま湯原昌幸の人懐こい笑顔があることをあらためて知った。
湯原昌幸は「徳間ジャパン」に移籍したと聞く。来たる11月5日、その第一弾の新曲のタイトル「どうかしてるね」が発売される。長年連れ添った女性から別れを告げられて慌てふためく男の心情が歌われている。男は「悪いジョークと笑っておくれ」と泣きを入れるがどうにも心もとない。作詞は「残酷な天使のテーゼ」の及川眠子、作曲は「天城越え」の弦哲也という異色の組み合わせだ。おしどり夫婦の仲を引き裂こうというやっかみ半分の歌にも聞こえる。ラテン・タッチの曲調の歌謡ポップスを歌唱する、団塊世代のまっただ中の我らが同輩にはまだまだ活躍を期待したいところだが、何と1音半オクターブを上げて挑戦した「雨のバラード」がカップリングされているんだとか!まいりました!
(「痴呆」は荒木由美子の著書の表記のママ)
文=村澤次郎 イラスト=山﨑杉夫
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