わが昭和歌謡はドーナツ盤

化粧品会社の春のキャンペーンCMが華々しかったころ、「女の時代・80年代」の幕開けを飾った、渡辺真知子の「唇よ、熱く君を語れ」

 
 カーラジオから流れてきた渡辺真知子の「迷い道」に、運転していた20代の甥っ子が、「なにこれ、いい曲じゃん」とつぶやいた。時折甥っ子の車に乗せてもらうと、「なにこれ?」と尋ねるのはいつも私。

 10代、20代の若者には人気なのだろうが、「ヨアソビ」、「ヒゲダン」、「ミセス」と、ぶっきらぼうに言われてもさっぱりわからない。それぞれ「YOASOBI」、「Offical 髭男dism」、「Mrs.GREEN APPLE」のことなのだが、未だに曲とグループが結びつかない。甥っ子にとっては初めて聴く渡辺真知子の曲は、新鮮な感覚だったのだろう。口数の少ない甥っ子が「ほかにどんな曲があるの」と珍しく興味を示してきた。


 1977年11月1日にシンガーソングライターとして「迷い道」でデビューした渡辺は、セカンドシングル「かもめが翔んだ日」(78)、「ブルー」(78)、「たとえば…たとえば」(79)と、次々にヒットを飛ばした。
 高校生のときに、ポプコン(ヤマハポピュラーソングコンテスト)に出場し、審査員特別賞を受賞すると、さっそくレコード会社からデビューの話が舞い込んだ。

 しかし渡辺は、洗足学園短期大学音楽科に進学しクラシックを学びながら、地元横須賀のロックバンドでボーカルとして参加するなど、さまざまなジャンルの音楽に触れる日々を送り、デビューしたのは短大を卒業してからだ。新人ながら圧倒的な歌唱力で、楽曲の世界観を見事に歌い上げたのは、持って生まれた音楽センスはもちろんのこと、こうした経験を積んだことも大きい。

 2曲目の「かもめが翔んだ日」(作詞・伊藤アキラ、作曲・渡辺真知子、編曲・船山基紀)は、初めてプロの作詞家からもらった歌詞に嬉しくて手が震えたという。その歌詞を目にすると瞬く間にメロディーが浮かび一気に曲を完成させた。本楽曲で第20回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞する。因みにこの年のレコード大賞受賞は、ピンク・レディーの「UFO」、最優秀歌唱賞は沢田研二の「LOVE (抱きしめたい)」である。総合司会は高橋圭三、「ザ・ベストテン」の久米宏・黒柳徹子コンビが司会進行を担当した。


 
 歌番組で見かける渡辺はアイドル歌手とも自然に溶け合い、周りを明るくするキャラクターだったが、デビューからシングル6枚目の「季節の翳りに」まで失恋ソングが続いた。シングル7枚目にして、カネボウ化粧品からタイアップの話がきたのだ。当初CMに自分が登場するのかと早合点したというエピソードが渡辺らしい。1980年1月21日にリリースした「唇よ、熱く君を語れ」(作詞・東海林良、作曲・渡辺真知子、編曲・船山基紀)は、カネボウ化粧品の「LADY 80(レディエイティ)」の口紅のCMソングになった。キャンペーンガール「レディ’80」には全国から2万6000人余の応募があり、栄冠を手にしたのは松原千明。テレビをつければ、赤いタンクトップ、白いミニスカート姿のチアリーダーの女性たちとともに、溌溂とした松原が力強く敬礼しながら堂々と行進する。さらに白いブラウスに赤いタイトスカートが凛々しい海外の女性たち、白いユニフォームを身に着けたパイロットの姿の美しい女性たちも加わった。

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