バスの車掌も、女性の職業として注目されていた

関東大震災のあと運行が増えた東京のバス

 昭和三十二年にはコロンビア・ローズが 〽発車オーライ……と歌う「東京のバスガール」が大ヒットした。もっともこの歌は『バス車掌の時代』によると実際の車掌たちには、厳しい労働の現実を知らなすぎると評判が悪かったらしい。

 厳しい現実といえば、バスの車掌にとっていちばん不快だったのは身体検査だったという。車掌が現金を扱うために行われたものだが、人権に関わる。

『歌え! 青春はりきり娘』には、営業所で中年の係官が若い女性たちを並べてポケットを検査してゆく場面があり、その厳しさに驚かされる。

 東京で本格的なバスの運行が始まったのは大正八年(1919)という。前年に発足した東京市街自動車という民間の会社がアメリカからバスを購入し、大正八年に新橋―上野間でバス運行を始めた。この時に、女性の車掌を採用した。当時としては花形の職業だった。

 昭和五年に出版されベストセラーになった林芙美子の自伝的小説『放浪記』には、尾道から東京に出て来て、いまのフリーターのようにさまざまな仕事を転々としている「私」に宿屋のおかみさんがこういう。

「あんた、青バスの車掌さんにならないかね、いいのになると七十円位入るそうだが……」

「青バス」というのは東京市街自動車が走らせていたバスのこと。車体を青(正確には緑)に塗ったので一般に「青バス」と呼ばれ、親しまれていた。この話は大正十二年ころのこと。七十円といえば公務員の初任給と変わらないから女性の職業としてはいいほうだったろう。「私」は青バスの車掌になりたいと思うのだが、狭き門だったらしく、残念ながらなれない。

 バスの運行が増えるのは、大正十二年の関東大震災のあと。いうまでもなくそれまでの公共交通機関だった路面電車が震災によって大打撃を受けたために、それにかわるものとしてバスが求められた。民間の「青バス」だけではなく東京市の市バスも走るようになった。

昭和39年当時の岡山県下津井電鉄のバスと乗務する車掌さん。襟の白いまぶしい紺の制服に帽子。歌にも歌われた車掌さんのスタイルだ。(下津井電鉄歴史資料館)

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