昭和30年代の映画でも印象的な雨の日のお迎え

「お迎え」は昭和三十年代の映画にも描かれる。

 昭和三十二年(1957)に公開された野村芳太郎監督の『張込み』は、松本清張の短篇を映画化した非常に面白いサスペンス映画だが、このなかに印象的な「お迎え」の場面がある。

 東京で強盗殺人事件がおこる。犯人は若い労働者(田村高廣)。行方が分からない。昔の恋人(高峰秀子)のところに立ちまわる可能性がある。

 東京から二人の刑事(宮口精二、大木実)が、その恋人の住む九州の佐賀市にまで行き、張込む。彼女は、年の離れた銀行員の夫の後妻になり、つましい暮しをしている。二人の刑事は、その家の前にある旅館の二階から、彼女の行動を監視する。

 夏の一日。午後になって雨が降り出す。かなり激しい。銀行員の後妻、高峰秀子が夫のために、銀行に傘とそして長靴を届けにゆく。

「お迎え」というより、正確には、傘と長靴を「届け」にゆく。昭和三十年代には、こうゆうことも日常的に行なわれていた。

 高峰秀子が激しい雨のなか、白いブラウスとスカート、そして下駄の姿で歩いてゆく。それを刑事の大木実が追う。『張込み』のなかでも、印象に残る場面で、大木実に「見つめられる」高峰秀子が、ブラウスとスカートという普通の主婦の姿なのに「見られる」ことによって素晴しく美しく見える。

 高峰秀子がさしている傘が洋傘ではなく「蛇の目」なのも懐しい。

 雨が降るたびに母親が、いちいち父親や子供たちのために駅まで「お迎え」に行くのは大変だ。ちょうど夕食の仕度で忙しい時の主婦にとっては負担になる。

 そこで、こんな工夫がされる。

 昭和三十年(1955)に公開された丸山誠治監督の『男ありて』。志村喬演じるプロ野球の監督と、その家族(妻は夏川静江、娘は岡田茉莉子)を描いた小市民映画の秀作だが、このなかにその工夫がある。

 一家は、井の頭線の駒場駅(現在の駒場東大前駅)近くに住んでいる。駅前に小さな煙草屋がある。

 一家はその煙草屋と懇意にしているらしく、店の人に頼んで「わが家の傘」を置いてもらっている。雨が降り出した日には、その店に預けておいた傘をさして家に帰る。これだと、夕食の仕度で忙しい母親が、駅まで迎えにゆかなくてすむ。

 うまい工夫だが、現代では「駅前の煙草屋」も消えつつあるし、住民と商店との関係もかつてほど密ではなくなっているから、この工夫ももうないだろう。駅前のコンビニでビニール傘を買えばすんでしまう(わが家には、ビニール傘が何本あることか)。

外出時には傘を持った
単身生活者の荷風

昭和31年4月、いつものように帽子を被り、傘を持って吉原を散歩中の永井荷風。路面も濡れていて、後方の男性が傘を持たず頭にハンカチをあてているのを見ると、どうやら突然の雨だったらしい。写真は『日和下駄』に所収。

 雨は降るもの。

 それならば、はじめから用心して、傘を持ち歩けばいい。

 永井荷風の『濹東綺譚』(昭和十二年)の主人公、永井荷風自身を思わせる「わたくし」はいつも町に出る時、洋傘を持ってゆく。

「わたくしは多年の習慣で、傘を持たずに門を出ることは滅多にない」

「わたくし」は単身生活者、つまり、ひとり者。外出して雨が降ったからといって駅に「お迎え」をしてくれる者はいない(現在、「お迎え」の光景が消えつつあるのは、日本の全世帯の三分の一が、ひとり暮しという単身社会のためかもしれない)。

「わたくし」は、現代の単身化社会を先取りしている。「お迎え」してくれる家族がいないから、外出時には、用心して傘を持ち歩く。傘はステッキの代わりにもなる。

 しかも、傘を持っていたからこそ、私娼の町、向島の玉の井を歩いていた時、美しい私娼「お雪」が、「檀那、そこまで入れてってよ。」と傘のなかに入ってくる。傘が二人のなれそめになった。

雨の日のお迎えで仲直り

 消えつつある「お迎え」だが、こんな「お迎え」はいまでもいいなと思うのは、昭和三十年(1955)に公開された久松静児監督の小市民映画『月夜の傘』。

 東京の郊外住宅地に住む小市民の哀歓を描いている。中学校で数学の先生をしている夫の宇野重吉と、妻の田中絹代が主人公。二人は長年、仲良く暮している(子供もいる)のだが、ある日、ちょっとしたことで大喧嘩をしてしまう。

 無論、最後は仲直りするのだが、そのきっかけは「お迎え」。雨が降り出した日、妻の田中絹代が、駅に夫の宇野重吉を迎えにゆく。傘とそして長靴を持って。二人が、傘をさして歩いてゆくところで映画は終わる。「お迎え」で仲直りした。

 この夫婦が住んでいた町は、小田急沿線の梅ヶ丘。撮影にあたり、駅の近くの、当時は野原だったところにオープンセットで住宅を何軒か作った。あまりに本物のように見えたので「あの家に住みたい」という要望が殺到したという。

映画『月夜の傘』のオープンセットが建てられた昭和37年の、小田急線梅ヶ丘の駅前の写真。『小田急の駅 今昔・昭和の面影』所収。


 

かわもと さぶろう

評論家(映画・文学・都市)。1944年生まれ。東京大学法学部卒業。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」を経てフリーの文筆家となりさまざまなジャンルでの新聞、雑誌で連載を持つ。『大正幻影』(サントリー学芸賞)、『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎日出版文化賞、桑原武夫学芸賞)、『映画の昭和雑貨店』(全5冊)『映画を見ればわかること』『向田邦子と昭和の東京』『それぞれの東京 昭和の町に生きた作家たち』『銀幕の銀座 懐かしの風景とスターたち』『小説を、映画を、鉄道が走る』(交通図書賞)『君のいない食卓』『白秋望景』(伊藤整文学賞)『いまむかし東京町歩き』『美女ありき―懐かしの外国映画女優讃』『そして、人生はつづく』『映画は呼んでいる』『ギャバンの帽子、アルヌールのコート:懐かしのヨーロッパ映画』『わが恋せし女優たち』(逢坂剛氏との共著)『日本映画 隠れた名作-昭和30年代前後』(筒井清忠氏と共著)など多数の著書がある。

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