キレイな先生が奏でるオルガンと共にあった、昭和の子供たちの音楽の時間

荒くれ男の心に届く讃美歌

創業者山葉寅楠が明治20年に浜松尋常小学校(現・元城小学校)で壊れたオルガンを修理したのがヤマハ創業のきっかけで、同年オルガン製作に成功している。明治22年にはヤマハの前身である合資会社山葉風琴製造所が設立された。明治30年には日本楽器製造株式会社を設立し、ピアノの製造を開始したのは明治33年のことだった。写真提供:ヤマハ株式会社

 オルガンは教会を中心にして急速に普及してゆく。
 作家、庄野至の『異人さんの讃美歌』(編集工房ノア、2011年)の表題作は、後年、大阪の帝塚山学院の校長を務めた父親の回想記。父親は明治二十年(1887)に徳島県の小さな村で生まれている。
 十五歳の頃、徳島の師範学校の生徒だったある日、クリスチャンの友人に連れられて、徳島キリスト教会に行った。


「そして旧い栗色のオルガンで伴奏される讃美歌は、心が洗われる思いがした」

 教会で聴く、オルガンで伴奏される讃美歌によって少年に新しい世界が開けてゆく。

 黒澤明脚本、谷口千吉監督のアクション映画『ジャコ万と鉄』(昭和二十四年)は、北海道のニシン漁で働く男たちを描いている。
 気のいい荒くれ男、三船敏郎は、町の教会でオルガンを弾く美しい久我美子に憧れる。暴れん坊の心にも讃美歌が届いた。


子供時代の思い出はオルガンと共に


『オルガンの文化史』によれば、明治末、日露戦争の頃にはもう全国の小学校に広く足踏みオルガンが導入されていたという。
 それで思い出されるのは、当時、埼玉県の羽生の町で小学校の先生をしていた青年の短い生涯を描いた田山花袋の名作『田舎教師』(明治四十二年)。
 主人公の清三は羽生の在にある村の小学校の先生になる。子供たちにオルガンで唱歌を教える。
 音楽好きで、時には、自分で歌を作り、オルガンで弾く。オルガンが慰めになっている。「学校には新しいオルガンが一台購(か) ってあった」とある。小さな村の小学校にもオルガンがある。普及の広さ、速さがうかがえる。
 オルガンは子供と共にあった。小学生時代の思い出はいつもオルガンと結びつく。
 明治四十二年(1909)生まれの作家、大岡昇平の回想記『少年 ある自伝の試み』(昭和五十年)には、大岡少年は東京の渋谷の小学校に入ってはじめてオルガンを聴き、〽 菜の花畠に入日薄れ……と「朧月夜」を歌ったとある。


 子供時代の思い出はオルガンと共にある。
 神風特攻隊の最後の日々を描いた家城巳代治監督の秀作『雲ながるる果てに』(昭和二十八年)では、オルガンが心に残る。 
 学徒兵たちは特攻隊の基地(鹿児島県知覧)にある町の小学校を宿舎にしている。
 ある休日、彼らは小学生たちと一緒に、女の先生(山岡久乃)の弾くオルガンのまわりに集まってくる。
 学徒兵のひとり(清村耕治)が、「自分も弾きたい」とオルガンに向かい、「箱根八里」を弾く。決してうまくはないが、子供たちも女の先生もオルガンに合わせて歌ってくれる。
 死を目前にした学徒兵たちがつかのま、童心に帰る。
 最後、彼らが出撃していったあと、女の先生は、若い魂を慰藉(いしゃ)するように「箱根八里」をオルガンで弾く。子供たちはそれに合わせ一生懸命、〽箱根の山は 天下の険、と歌う。

沖縄県八重山の与那国島の比川分教場が、集落の人々の寄付をもとにオルガンを購入したのは昭和9年のことだった。翌年には分教場創立第三五周年の記念事業の一環として跳び箱、バレー用具、シーソーなども購入されている。写真でオルガンの前にすわるのは、女子師範を出て赴任してきた大桝静枝先生で、ピアノやバイオリンを弾き、テニスもでき、書にもたけていたという。昭和16年4月には国民学校令の施行にともない、比川分教場は与那国国民学校比川分教場と改められ、尋常科も初等科に変わり、太平洋戦争下の体制に組み込まれていった。写真提供:与那国町史編纂委員会事務局 米城惠さん


オルガンが人の心を慰めた時代

 オルガンは戦後の日本映画で輝いていた。
 木下惠介監督の『カルメン故郷に帰る』(昭和二十六年)は日本最初の本格的カラー映画として知られる。
 この映画でもオルガンが大事に描かれている。浅間山の見える群馬県の北軽井沢あたり。村に住む音楽家(佐野周二)は、小学校の音楽の先生だったが、戦争で失明してからは家に引込んでいる。楽しみはオルガンで自分の作った歌を弾くこと。
 ところが、村の強欲な金貸しにその大事にしていたオルガンを取られてしまう。ちょうど故郷に帰ってきていた、頭は少し弱いが気のいいカルメン嬢(高峰秀子)は、それを知り、村でストリップショウを開く。稼いだ金で音楽家のためにオルガンを取戻す。
 最後、美しい村にまた先生の弾くオルガンの音が聴えてくる。
 まだピアノなど夢だった時代、オルガンが人の心を慰めていた。

かわもと さぶろう
評論家(映画・文学・都市)。1944 年生まれ。東京大学法学部卒業。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」を経てフリーの文筆家となりさまざまなジャンルでの新聞、雑誌で連載を持つ。『大正幻影』(サントリー学芸賞)、『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎日出版文学賞、桑原武夫学芸賞)、『映画の昭和雑貨店』(全5 冊)『映画を見ればわかること』『向田邦子と昭和の東京』『それぞれの東京 昭和の町に生きた作家たち』『銀幕の銀座 懐かしの風景とスターたち』『小説を、映画を、鉄道が走る』(交通図書賞)『君のいない食卓』『白秋望景』(伊藤整文学賞)『いまむかし東京町歩き』『美女ありき―懐かしの外国映画女優讃』『映画は呼んでいる』『ギャバンの帽子、アルヌールのコート:懐かしのヨーロッパ映画』『成瀬巳喜男 映画の面影』など多数の著書がある。

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