昭和の時代、”外食”といえばデパートの大食堂や街の洋食屋だった

食品サンプルと定価を明示したショーケース

 手元に昭和四年(1929)に出版された時事新報社家庭部編『東京名物食べある記』という本がある。現在のグルメ・ガイドブックのはしりといえるだろう。

 震災後、市民生活が変わった。合理化、大衆化、洋風化が進んだ。家族揃って外食する習慣が広まった。主婦も昔のように家にとじじこもっているだけでなく、銀座や日本橋、新宿などに出かけ、外食を楽しむようになった。

 そこで読者から、どういう店に行ったらいいかとの情報が求められるようになり、時事新報社の家庭欄で「食べある記」の連載が始められそれが好評だったので単行本として出版された。女性の町への進出ぶりをよくあらわしている。

 1920年代は、女性の社会進出が広がった時代である。デパートの店員、タイピスト、バスの車掌、電話交換手、美容師、あるいはカフェーの女給など。

 彼女たちは自分で働いて得た金で外食を楽しむようになった。昭和九年(1934)に作られた小市民の映画の代表作、島津保次郎監督『隣の八重ちゃん』では、東京の郊外住宅地に住む女学生の八重ちゃん(逢初夢子)が、お姉さん(岡田嘉子)や隣りに住む大学生(大日方傳)と銀座に遊びに行き、映画を見たあと、小料理屋で鳥鍋をつつく。

 この本には、子供のいる家庭の主婦が対象だからだろう、デパートの食堂がたくさん紹介されている。銀座の松屋や松坂屋、日本橋の三越など、昭和に入るとどこも食堂を充実させていく。「お子様ランチ」が登場するのもこの時代。

 さらに面白いものが登場した。飲食店の入り口に「食品陳列」をしたこと。ウィンドウに食品の見本を置き、定価を明示した。これは画期的な商法だった。

 これまで小料理屋などいくらかかるのか分からなかった。それが見本と定価が明示されたことで女性客が飲食店に入りやすくなった。

 永井荷風は日記『断腸亭日乗』の昭和十年七月三日に、これは震災後の新風物で大阪から始まったと書いている。

 お出かけ、外食。昭和のモダン都市は現在の東京とさほど変わらなくなっている。現在の原型が作られた時代といっていいだろう。

かわもと さぶろう
評論家(映画・文学・都市)。1944 年生まれ。東京大学法学部卒業。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」を経てフリーの文筆家となりさまざまなジャンルでの新聞、雑誌で連載を持つ。『大正幻影』(サントリー学芸賞)、『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎日出版文化賞、桑原武夫学芸賞)、『映画の昭和雑貨店』(全5 冊)『我もまた渚を枕―東京近郊ひとり旅』『映画を見ればわかること』『銀幕風景』『現代映画、その歩むところに心せよ』『向田邦子と昭和の東京』『東京暮らし』『岩波写真文庫 川本三郎セレクション 復刻版』(全5 冊)など多数の著書がある。

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