どこか昭和が香る熱海は、さまざまな形で描かれる

古くからの湯治の地で、徳川家康も来湯しているという熱海。
約1500年前、海から熱い湯が湧き出ていたことから名がついたとされる。
街は東洋のモナコとも称され、温泉と風光に恵まれ、冬は暖かく、夏は涼しいので
東京方面からの保養地、温泉地として、いわゆる奥座敷とされてぃる。
本文に紹介されている映画『東京物語』での中村伸郎のセリフも頷ける。
昭和30年代は新婚旅行のメッカであり、高度経済成長期には団体旅行客が多くなった。
昭和の数々の映画でも、新婚旅行、社員旅行、家族旅行、男女のお忍びの旅行など
さまざまな形で熱海が描かれている。
熱海という温泉地には、どこか昭和が香る。


熱海へおでかけ
~東京から近い温泉地の昭和情緒~

文=川本三郎

昭和の風景 昭和の町 2018年1月1日号より


昭和28年公開『東京物語』にも登場する熱海旅行

 熱海が輝いていた時代があった。
 東京に近い温泉地のため、社員旅行や新婚旅行、あるいは男女のお忍び旅行の絶好の場になった。
 小津安二郎監督の『東京物語』(53年) に熱海が出てくる。尾道から東京に、息子や娘たちを訪ねて来た老夫婦(笠智衆、東山千栄子)が、娘(杉村春子) の発案で熱海に行くことになる。親孝行のつもりだが、老いた両親をもてなすのに疲れたこともあるだろう。
 娘の杉村春子はきょうだいに早速、呼びかける。「お父さん、お母さん、熱海にやってあげようと思うの」。そばで夫の中村伸郎が賛成する。「熱海はいいですよ、この暑いのに東京見て歩くよりゃ、温泉へでも入って、ゆっくり昼寝でもしてもらうほうが、お年寄りにはよっぽどいいですよ」。
 そこで両親は熱海に行き、旅館に泊まるのだが、ちょうど社員旅行の団体客が入っていて、酒を飲んで騒ぐ。麻雀をする。窓の外には、流しがやって来て歌う。大変なにぎわいで、老いた両親には合わず、結局、一泊しただけで東京に戻ってしまう。
 この時代、熱海が人気の行楽地になっていたことが分かる。朝、旅館で掃除をしている仲居たちが「ゆうべの新婚どお? がら悪かったわね」と噂しているのも面白い。新婚旅行でもにぎわっていた。

静岡市民にとっても県内の熱海はおでかけに人気の町で、写真は昭和41年に県内七間町から熱海後楽園にやってきた家族の記念写真。熱海後楽園には「ゆうえんちアピオ」という遊園地があり(平成27年1月閉園)、子供連れには格好のスポットだった。現在、遊園地跡は、熱海後楽園ホテル芝生広場になっている。写真提供:七間町商店街

家族旅行にも人気の行楽地

 家族連れもいる。
 昭和三十三年の映画、源氏鶏太原作の『重役の椅子』(筧正典監督)では、熱海行きが家族のおでかけになる。
 池部良演じる主人公は商社に勤める有能なエリート社員。奥さん(杉葉子) と小学生の息子の三人の家庭を大事にしている。
 いつか暇が出来たら、家族水入らずで熱海に行くのがささやかな夢。ある日曜日、熱海に行こうと家を出たところで会社から電話で急に呼び出される。熱海行きは中止になる。高度経済成長期の働き蜂には、なかなか余裕がない。がっかりした子供は「いつ、熱海に連れて行ってくれるの」と怒る。
 そして、最後、ようやく大きな仕事も社内の人事の混乱も一段落する。会社の帰り、千疋屋のメロン(当時の御馳走)を買って家に帰ると、「わあ、メロンだ」と喜んだ子供に「今度の日曜日、熱海に行くぞ」。
 昭和三十年代のはじめ、熱海行きは、家族のうれしいおでかけだった。こういう光景はどこの家庭にもあったのではないか。

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Tags: 昭和