上野の東京国立博物館で、特別展「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」と題した展覧会が開催中である。
〝蔦重〟こと蔦屋重三郎は、現在放送中の大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(NHK)の主人公。オリジナルの著作物を作り販売する、今で言う〝コンテンツビジネス〟を革新し続けた男で、その根底には、常に消費者の視点に立った、人々が楽しむもの、面白いと感じるものを追い求めるという才気と実行力があった。
それは、出版業界における編集者としての基本の姿勢と言えるだろう。

大河ドラマの主人公にもなった蔦屋重三郎(以下・蔦重)は、いかにも今風に〝江戸のメディア王〟といった華やかなうたい文句で語られることが多い。他にも〝江戸のネットワーカー〟、〝コンテンツビジネスの先駆者〟、〝浮世絵界のゴッドファーザー〟といった具合で、蔦重の功績を思えばどれも決して大げさではないのだが、個人的にはシンプルに「編集者」と呼びたい。「蔦重は編集者である」と言い切ったほうがしっくりくるし、彼の本質がよく見えてくる。
そこで気になるのが「編集」という言葉である。編集とは何か。実は編集という漢字2文字がこれを見事に表している。編集の「編」は編むこと。言い換えれば、組み合わせること、構成することである。「集」は集めることだ。つまり編集とは「集め、編む」ことである。では何を集め、編むのか。情報である。情報を集めて組み合わせ、何かを創造し、人に伝える。これが編集の基本である。
本も雑誌も、ライターやカメラマンやデザイナーといった多くの人が関わりながら、誌面を文章や写真やイラストなどの情報で構成する、つまり編集することで成り立っている。その中心にいるのが編集者だ。蔦重はその才能が際立っていた。

◆初めて出版に携わった吉原遊郭のガイドブック
1750年に江戸の新吉原で生まれた蔦重が編集者として頭角を現すのは20代半ば。親戚の家の軒先を借りて「耕書堂」の名で貸本屋を始めた蔦重は、吉原遊郭のガイドブックともいうべき『吉原細見』で初めて出版に携わる。『吉原細見』は年2回の発行。どの遊郭にどんな遊女がいて、料金はいくらかを調べ、改訂するのが蔦重の役目だった。なにしろ遊女の数は2000人以上。吉原で生まれ育った蔦重だからできる情報収集だった。
しかも、蔦重は画期的な仕掛けをする。『吉原細見』の巻頭の序文を、学者であり人気戯作者でもあった平賀源内に書かせたのだ。今なら、外国人向けの日本の観光ガイドブックの帯に漫画家・尾田栄一郎(『ONE PIECE』の作者)のコメントが入るようなものだろうか。そんな発想を250年も前にしたのが蔦重だった。
同じ時期に、蔦重は遊女を当時流行していた生け花に見立てた評判記『一目千本』を刊行している。美しい花と遊女を重ねた企画で、馴染みの客にしか配布しない販促物だった。しかし、この本がほしいからと吉原には客足が戻ったともいわれる。さらに『吉原細見』の版権を獲得して版元になると、サイズを小型本から中型本に変更した。見やすくなったうえ、ページが減ったことにより紙代や版木代の経費も大幅に削減された。安く買えるようになったのだから、読者が増えるのは道理だった。
この頃から蔦重の快進撃が始まる。33歳で老舗の本屋が並ぶ日本橋に出店すると、風刺や滑稽を織り交ぜた黄表紙や洒落本などの娯楽本を次々にヒットさせた。そして狂歌がブームになれば狂歌集や狂歌絵本を出版し、やがては浮世絵の世界にも進出していくのだが、ここで少し視点を変えて、編集者にはどんな資質が求められるかを考えてみたい。
