文士・映画人たちが愛した鎌倉の店

~小林秀雄の天丼、田中絹代のうな重~

 

鎌倉を愛し、鎌倉に居を構えた文士や映画人たちがいる。
川端康成、小林秀雄、大佛次郎、小津安二郎、田中絹代、夏目雅子……。
鎌倉には彼らが贔屓にした店があり、作家や女優たちのエピソードが今も語り継がれる。 散歩の途中に一人でフラッと立ち寄り、店の主人を話し相手に、必ず注文するいつもの料理に舌鼓を打ちながら、好きな酒を飲む。
ときには仲間と連れ立って訪れ︑にぎやかな時間をすごすことも。
そこには、文士や映画人といった肩書きを脱ぎすてた おいしいもの好きな鎌倉人が存在するだけ。
家族と訪れ鍋奉行として満足気に采配を振る小林秀雄、〝お父さん〟〝お母さん〟と我が家のように寿司屋の大将と女将に甘える夏目雅子。
地元だからこそ、素顔の自分にもどることができるのだろう。
文士や映画人の面影が鮮やかに蘇る店が、鎌倉には今も健在だ。

撮影:平岩亨

ぼくの「鎌倉物語」

文=秋山真志

鎌倉に越してきたのは昭和57 年、1982年の3月だった。以来、ぼくは鎌倉で飲みつづけている。一体、どれだけの酒を鎌倉で飲んだだろう。ここでは鎌倉文士と映画人を肴にしながら、思い出に残る飲み屋、ぼくが愛する鎌倉の飲食店を紹介したい。女優の小山明子さんからいただいた大島渚監督の着物を着ながら、鎌倉を歩いてみた。

 

底なしの大酒飲みの小林秀雄は鍋奉行だった

 

小町通りに割烹の〈奈可川〉がある。 小林秀雄や永井龍男、立原正秋らの鎌倉文士が通い詰めた名店である。昭和49年 8月19万日にオープンした。ご主人の中川晃弥さんは銀座のふぐ料理屋で 板前修業した方である。戦前からの鎌倉住まい。オープン翌日から小林秀雄がやって来た。小林秀雄と文芸評論家の中村光夫が連れ立ってきたときは 徹底的にやりこめて中村光夫がウルウルしていた。小林が絡むときは一層甲高い声になったという。しかし、当時小林も70代。若い頃のような壮絶な絡 みはなかったようである。お銚子も3,4本でいい気分になった。若い頃の小林は底なしの大酒飲みだった。家族連れで来ると、小林は鍋奉行になった。すべての采配を自分が振るのである。冬はあんこう鍋が好きだった。

立原正秋はいつも着流しでワケありの美人を連れて来ていた。女将さんの 中川久仁子さんが「今日は小林秀雄さんがおいでになりますよ」というと、 いつも逃げるように帰った。決して店では顔を合わさなかった。立原は小林に強い憧れを抱きながらも、それだけ怖かったのだろうが、実は二人には深 い交友があった。立原はよく小林の家 に届け物をしていた。立原の弔いのときは小林が出席した。久仁子さんは小林秀雄からこう諭されたという。「物事をギュッと見なさい」。

……続きはVol.36をご覧ください。

鎌倉市川喜多映画記念館

あきやま まさし

作家。昭和33年東京生まれ、 鎌倉在住。明治大学文学部仏文学専攻卒業、出版社勤務を経て作家となる。主な著書に『職業外伝 紅の巻』(ポプラ文庫)、 『職業外伝白の巻』(ポプラ文庫)、『寄席の人たち』(集英社)などがある。現在、鎌倉文士や小津安二郎、原節子などの鎌倉在住の映画人たちを主人公にした『鎌倉物語』を書き下ろし中。 平成20年、『寄席の人たち』で、第21回尾崎秀樹記念・大衆文学研究賞・評論・伝記部門を受賞。落語好きが高じて、自ら落語会(鎌倉はなし会)の席亭も務める落語狂。寄席とJAZZと居酒屋とアジア貧乏旅行をこよなく愛する不良中年。


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