サザエさんも観た!東京オリンピック1964

サザエさんも観た!東京オリンピック1964

~オリンピックの行間に浮かび上がる日本と日本人~

 

 

参加国の国旗が一斉に掲揚され、第18 回オリンピック競技大会、すなわち東京オリンピックの開会式が始まった。

日本及びアジア地域で初めて開催されたオリンピックで、過去最高の出場国数、94の国と地域からアスリートたちが集い日本中がオリンピック熱に浮かれ、お祭り騒ぎの15日間だった。

長谷川町子も、朝日新聞の4コマ漫画「サザエさん」でオリンピックを取り上げている。

「サザエさん」には、オリンピックに湧く当時の世相や人々の様子が描かれている。

そして56 年後の2020年、東京で再びオリンピックが開催される。

開催を一年後に控えた今、記憶の糸を手繰り寄せながら、

あの、昭和のオリンピックが開催された時代の日本人の心を漫画家の黒鉄ヒロシさんと共に、見つめなおしてみる。

企画協力&図版提供= 長谷川町子美術館 写真提供=フォート・キシモト

緑の芝生とレンガ色のアンツーカーに映える各国選手団の色鮮やかなブレザーに民族衣装。オリンピック発祥の地ギリシャを先頭に英語のアルファベット順に各国選手団は入場し、冷戦下で東西対立の厳しい国際情勢にありながら、アメリカ合衆国(USA)に続いたのはソビエト連邦(USSR)で、ドイツは東西統一ドイツ として参加し、平和の祭典の色彩が濃い開会式となっ た。最後に入場したのは開催国日本の355 人の選手団。開会式の模様は、三島由紀夫、大江健三郎、北 杜夫、開高健、井上靖ら、多くの作家たちが新聞や雑誌に寄稿しているが、石川達三は「開会式はかねのかかったセレモニーだ。この日のために参加国はどれほどの犠牲をはらったことだろう。スポーツの技を競うためだけになぜこんな大きな犠牲を払わなくてはならないのか」と言いながらも(日本でのオリンピックの 開催には、批判的な意見も多かった)、開会式の様子を直に見て「国と国とのあいだの親睦と理解とをすす めるものであるならば、何と安いことであろう。戦争の犠牲の大きさにくらべれば、まことに喜ぶべき犠牲ではないだろうか(中略)戦いの後には憎悪が残る。オ リンピックの後には親愛の心と喜びの記憶とが残る」 と記している。昭和41 年(1966)以降、10 月10 日は 「体育の日」の祝日になった。

1964 年10 月9 日朝日新聞朝刊掲載 開会式前日の夜まで颱風の影響で東京には 冷たい雨が降り続いていた。気象庁が発表し た当日の天気予報は「晴れ時々曇り」だった が、開会式当日は東京の空から雲が消え快 晴となった。テレビ実況を担当したNHKの 北出清五郎アナウンサーは「世界中の青空を 全部東京に持ってきてしまったような、素晴ら しい秋日和でございます」と述べている。

1964年10月6日朝日新聞朝刊掲載 波平氏の言葉のように、東京オリンピック開催については、時期尚早、お祭り騒ぎだという説、もっと他にすべきことがあるだろうなどの批判もあった。オチの波平氏の嘆きようが激しいのは、10万円で、やっと開会式のチケットを購入できたという人もいたくらい入手が難しかったからだろう。

「東京オリンピック1964」──から2020の、輪は、ワワワワ、わ

 

文=黒鉄ヒロシ

 

 奇を衒(てら)うようで、こんな書き出しはどうかと思うが、本当の話なのだから仕方がない。
 
 受話器の向こうで、掛けてきた主が、「イチカワです」と名乗る。

「どちらのイチカワさんですか?」

「映画監督の、イチカワ――コンです」

 映画監督で「イチカワコン」と云えば、あの「市川崑」以外、考えられないじゃないですか。

 拙著『新選組』の映画化の依頼が電話の主旨であったが「市川崑」の名を聴いて反射的に我が脳内に閃ひらめきの豆電球が点ともった。
 
 あのオリンピックから30年を経た頃である。〈あ! あの一件に就いての監督自身の感想が聴けるかもしれないな――〉
 
 第18回オリンピック競技大会、アジアでの初開催の所謂(いわゆる)〈東京オリンピック〉を体験なさった世代なら「あの話だな!?」とピンとこられたのではないか。
 
 大いに盛り上ったオリンピック終了後、市川崑監督作品『東京オリンピック』が上映されるに及んで、賛否の声が日本国中に満ち満ちて――、いえ、大袈裟ではなく、先のコーフン覚めやらぬ余熱に映画論争が連動して大発熱した状況ではありました。

 その後、市川監督と何度も面会したにも関らず、ついぞチャンスを逸したのは、既に当時に於いても「東京オリンピックは遠くなりにけり」的な気分の方が質問の意欲に勝っていたのだろう。
 
 更に平熱に至った今、一件の詳細に触れるより、賛否どちら側でも、熱気に浮かされたかのように、オリンピック論、スポーツ論、芸術論、映画論など、口角泡を飛ばしたあの日の熊さんと八っつぁん達の属するところの大衆(mass)層が、今回の東京オリンピックでも屋台骨を支えていることを指摘した方がナンボか「コモ・レ・バ?」誌の読者の意に副うと思う。
 
 とは云え、せっかく他者が喜ぶ催しに水差す程には野蛮人ではないつもりだが、本稿は18回オリンピックに関する記憶の都合よろしき、ヒトならではの忘却に就いての独り言に近い遠吠え。

…… 続きはVol.40をご覧ください。

国際オリンピック委員会(IOC)ブランデージ会長の日本語による 「私は1836 年ピエール・ド・クーベルタン男爵によって復活され た近代オリンピックの第18 回競技大会の開会宣言をここに謹ん で天皇陛下にお願い申しあげます」の挨拶に続き、昭和天皇によ る開会宣言がなされた。昭和天皇は選手団入場にあたり、先頭 のギリシャ選手団から、しんがりの日本選手団まで終始起立して これを迎えた。

レスリングフリースタイルの試合を観戦中の明仁皇太子と美智子皇 太子妃(当時)。皇太子殿下の隣は、日本レスリング協会会長の八 田一朗、美智子妃殿下の隣は組織委員会副会長の田代茂樹。

アベベ・ビキラ(エチオピア)は、前回のローマ大会より3 分以上速い、2 時間12 分11 秒2 の当 時驚異的な世界最高記録を打ち立てた。ゴール後も「あと20キロは走れる」と余裕をみせていた。 円谷幸吉は2 位で国立競技場に戻ってきたが、トラックでイギリスのヒートリーに抜かれ3 位となった。わずか4 秒差だった。五輪の直後から「ぶざまな姿をさらしてしまった」と口にし、1968 年1 月自ら命を絶った。沿道で声援を受ける〝もっともメダルに近い〟と評判の君原健二は8 位に終わり、4 年後のメキシコ大会では、その雪辱を果たし銀メダルに輝いた。2 位でゴールの競技場に 入ってきた君原だったが後続に迫られ、普段は決して振り返ることをしない君原は、なぜか振り返り確認すると、不思議とパワーが湧き出たと言う。そして14 秒差で2 位を死守した。「振り返ったのは天国の円谷君からのメッセージだたのでしょう」と言っている。   

くろがね ひろし

漫画家。1945年高知県生まれ。68年に『山賊の唄が聞える』で漫画家としてデビュー。87 年第18 回講談社出版文化賞さしえ賞、97年『新選組』で文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、および第43 回文藝春秋漫画賞を受賞。98 年には『坂本龍馬』で第2回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞。02年に『赤兵衛』で第47回小学館漫画賞審査委員特別賞受賞、04年紫綬褒章受章。『信長遊び』『千思万考』『新・信長記』『GOLFという病に効く薬はない』『韓中衰栄と武士道』『本能寺の変の変』『刀譚剣記』『珍刀譚変剣記』『もののふ日本論 明治のココロが日本を救う』『色いろ花骨牌』『天変地異』『伊勢物語』など多くの著書がある。

長谷川町子美術館

「サザエさん」で知られる漫画家、長谷川町子が姉の毬子とともに蒐集した美術品を、広く社会に還元しようとの思いで、昭和60年11月3日に開館した。日本画、洋画、陶芸など多岐にわたる美術品の展示に加え、「町子コーナー」では、長谷川町子自身による陶芸や水彩画などの作品、「サザエさん」「意地悪ばあさん」などの原画、アニメ「サザエさん」一家の住まいの模型なども展示されている。ミュージアムショップでは、クッキー、文房具、風呂敷など各種サザエさんグッズが販売されている。

〔住〕世田谷区桜新町1-30-6 
〔問〕03-3701-8766 
〔開館時間〕10:00 ~ 17:30(入館は17:00まで) 
〔休館日〕月曜日(祝日の場合開館、翌火曜休みで、7/15、8/12 は開館、7/16 は休館) 〔入館料〕一般600 円、大高生500 円、中小生400 円 ※ 65 歳以上、障がい者手帳をお持ちの方とその介添えの方は各100円割引


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