家族の記憶を
どう伝えていくのか
ピアノ、英会話、IT……こうしたものを子どもの時から学ばせておくと将来のためになる、というのが今の時代の風潮である。コンピューターによってパターン化された価値観を幼いころから与えていいのか。それは、栄養満点の飼料を与え狭いケージの中でニワトリを育てることと似ているところもあるのではなかろうか。
転勤、引っ越しが日常化された現代。東京へ、あるいは地方中核都市へと人は集中し、その一方で過疎化が進むニッポン。断捨離や墓じまいが話 題になる。北島は「私は、人間の生活、人間のありのままの姿を撮影し印画紙に焼き込んで、その時受けた感動を見た人に伝えたいと心掛けてきた」と、『想い出の博多 昭和30年代写真帖』 のあとがきに書いている。
ありのままの、多彩な日常を切り取っている北島の写真は、価値観を標準化・数値化してしまうコンピューターと向き合って学ばなくてはならな い管理社会への警鐘であろうか。ふるさとの仏壇の中、押し入れに眠っている家族の写真もゴミに出されがちな現代。北島の写真は、私たち祖父母の暮らした、ふるさとの家族の写真帖や身近なものの中にも捨ててはいけない時代の記憶が残っているのでは……、と語り掛けているようだ。

北島 寛(きたじま かん)
1926年(昭和元年)、中国天津市旧日本租界生まれ。海軍甲種飛行予科練習生から茨城県神ノ池海軍神雷部隊特攻基地に配属され、45年に復員。日本大学専門部商科に学び、53年米軍納品会社に入社、福岡支店設立のため55年に福岡に移り住む。61年までアマチュア写真家として、カメラ雑誌のコンテストなどで多数入賞。57、59、61年度国際写真サロン入賞。57年にNHKテレビ写真コンテスト年度賞。その後プロに転向し、北島コマーシャルスタジオ設立。62年社団法人日本広告写真家協会(APA)九州支部入会。現在、特別会友。写真集に『想い出の博多 昭和30年代写真帖』『昭和30年代の福岡』 (共著)、『日々常々』『街角の記憶 昭和30年代の福岡・博多』などがある。現在92歳。
松尾 孝司(まつお たかし )
1946年(昭和21年)、福岡市博多区生まれ。博多の暮らしや祭りなどを伝える、博多を語る会会員。九州大学を卒業後、西日本新聞社に入社。新聞三社(北海道・中日・西日本)連合編集部長、西日本新聞文化部長、田川市美術館長など歴任。著書に『絵筆とリラと 織田廣喜聞き書き』『技ありき夢ありき 福岡の工芸家74人』。