NHK大河ドラマ「赤穂浪士」(1964年)では滝沢修演じる吉良上野介が潜む炭焼き小屋の前で、主君を最後まで守ろうとする家臣小林平八郎役を好演するなど、テレビドラマでお茶の間の人気者になったが、敗戦の引き揚げ後に劇団民藝に入団し、商業演劇などでも活躍した舞台人である。「ドラマ「七人の刑事」で断然光っているのは、部長刑事の芦田伸介である。「氷点」の芦田伸介はもうけ役といったところで、あまり感心しないのだが、「七人の刑事」で芽をふいた人気が「氷点」で花を咲かせたのだからおもしろい。どうしてこんなに人気が出たのか、当人がわからんね、という顔をしているのだから傑作である。「若さと美ぼうを誇る二枚目だア」と放言していた彼も、自動車事故で顔を傷だらけにし、年もあと二年で五十だ。さすがそんなセリフをはかなくなったら人気爆発、災い転じて福となった感じである。平素の彼は、新劇人らしからぬ明快な三枚目である。柴田錬三郎、阿川弘之、吉行淳之介、そしてわたしの遊び仲間は、彼にしきりにすすめる―「三枚目をやってみろ」と。「渋い役なんてやさしい。おまえはだいたい喜劇向きだぞ」ともいう。いまのところ、味の役者にとどまっている。しかし、あざとくうまい役者より、ときに魅力で人を楽します貴重な味の役者である」(秋山)。芦田は孫ができたとき、「ご先祖さま」と呼ばせる、と言っていた。秋山庄太郎は孫に「先生」と呼ばせることにする。しかし、芦田は「ジージョ」「オジイ・チャン」と呼ばれるようになり、秋山はほんの一時期「センセイ」と呼ばれていたが、すぐに「アザブのジジ」「麻布のおじいちゃん」となる。芦田と秋山は麻雀を囲みながら、好好爺談義を交わすこともあった。秋山庄太郎、芦田伸介らが男の友情を育んだ逸話は黒鉄ヒロシ『色いろ花骨牌』(小学館、2017年)に詳しい。
映画『駅前シリーズ』や、『社長シリーズ』での宴会大好きの課長で人気を博し「パーッといきましょう」は流行語にもなり、喜劇役者の地位を確立した。「スターは三船(敏郎)、役者は(三木)のり平」とも言われるほどその演技力には定評があった。舞台人としても活躍していたが、1993年に不条理演劇の第一人者と言われる別役実の作品で新劇の舞台に立ったのは驚きだったが、著書『のり平のパーッといきましょう』の中で「いま、こうやってさ、新劇の舞台に立つことは、とってもうれしいことだよ」と言っている。のり平最後の舞台出演も98年の別役実作『山猫理髪店』だった。森光子主演の舞台『放浪記』の演出を81年から担当し、菊田一夫演劇賞大賞、読売演劇大賞最優秀演出家賞なども受賞している。「仲良くしていた喜劇俳優の一人。1986年に一緒に紫綬褒章を受章。その時にいただいたお菓子は冷凍し、お客さんが来るとうす~く切って、「天皇陛下から頂戴したものです」と、少しずつ出したと言っていました。真面目なところ、おふざけのところ、ひねくれっぽいところもあって、だから面白いんだけれどね。実に飄々としている。喜劇俳優の人たちというのは、新劇の俳優とはちょっと違って、その人ならではの顔がみえて、写真家としてはなかなか面白かったね」(秋山)。本年、長男で俳優の小林のり一著(編:戸田学)の三木のり平評伝『何はなくとも三木のり平 父の背中越しに見た戦後東京喜劇』が青土社より上梓されている。
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