海も音楽も生涯の親友
そして若い仲間たちがいる
好きなことを職業にしない。好きだからやっている。これで稼ごうとか思っていない。永遠のアマチュア精神と言って良いのかもしれない。加山雄三は、偉大なる趣味人と言って良さそうだ。27 歳の時に小型船舶操縦士の免許を取得、初代光進丸を進水させた海の世界もそういうことになる。
「海は大きいですね。航海に出ると全く視点が変わってくる。NHKホールでスポットライトを浴びて3300人の前で歌って、番組が終わってそのま ま海に行く。当時は江の島に船を置いていたから、それに乗って鳥羽の造船所まで行く。夜間航海だからね。石廊崎あたりまで来ると、星は出てても真っ暗な中をプロの船が走っているのと出くわすんだ。これでメシを喰っている人がいるんだよな、と全く違う世界に入れるんです」
何と言っても茅ヶ崎育ちである。
自分でボートを制作したのは14歳。サーフィンを始めたのが 15歳。 18歳の時にモーターボートも作っている。台風の中で転覆、九死に一生を得るという体験もしている。
「海っぺりで何もすることがなかったからね。他にやることがないからなんでも自分で作ったんだけど、それは今に影響してるね。自然の怖さも知ってる。我々人間も自然の一部だなと分かる。人間は、そういう恐怖、怖さを持ってないと駄目だと思うね」
彼のバンド、THE King ALL STARSが結成されたのは2014年。77歳の時だ。
もし、彼が音楽をやっていなかったら、そんな風に若い世代と何かを共有することはありえなかったはずだ。一緒に音を出す。それは俳優が映画や舞台で共演するのとも違う。
そこには80歳も48歳もない。
かやまゆうぞう
俳優、シンガーソングライター。作曲家としてのペンネームは弾厚作。1937年、俳優の上原謙、女優の小桜葉子の長男として横浜市に生まれ、1歳9ヶ月で茅ヶ崎に移住。慶應義塾大学法学部卒業。14歳で処女作「夜空の星」を作曲。60年には東宝に入社。『男対男』で映画デビューし、宝田明に代わる東宝の若手看板スターとして数々の作品に出演。特に61年の『大学の若大将』から81年の『帰ってきたの若大将』までの全18本製作された『若大将』リーズは東宝の人気ヒット映画で、加山の代表作にもなる。映画ではそのほかに岡本喜八監督『独立愚連隊西へ』、松山善三監督『名もなく貧しく美しく』、黒澤明監督『椿三十郎』『赤ひげ』、稲垣浩監督『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』、成瀬巳喜男監督『乱れる』『乱れ雲』、堀川弘通監督『狙撃』、森谷司郎監督『八甲田山』など名匠たちの作品に出演している。歌手としても「君といつまでも」をはじめ、「恋は紅いバラ」「蒼い星くず」「夕陽は赤く」「お嫁においで」「霧雨の舗道」「夜空を仰いで」「旅人よ」「君のために」「別れたあの人」「幻のアマリリア」「ある日渚に」「いい娘だから」「大空の彼方」「美しいヴィーナス」「ぼくの妹に」「海 その愛」など多くのヒット曲がある。11歳でスキーを始めその後国体にも出場。14歳で自主制作第1号1のボートを作り、18歳で初のモーターボートを完成させ、20歳で学生バンドを結成。27歳で「光進丸」を進水させるなど、趣味の面でも多才ぶりを発揮している。98年には西伊豆堂ケ島に「加藤雄三ミュージアム」が開館。また本年、浅草芸能大賞の大賞を受賞の他、都民文化栄誉賞、神奈川文化賞、毎日藝術賞特別賞、日本芸術選奨、NHK放送文化賞、旭日小綬章など多数の受賞、受賞歴がある。2015年からBS朝日「歌っていいだろう」(毎週木曜23時)で司会を務めている。
たけ ひでき
1946年、千葉県船橋市生まれ。69年、タウン誌のはしりだった「新宿 プレイマップ」創刊編集者を皮切りに「セイ!ヤン グ」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクショ ン作家、音楽番組パーソナリティとして活動中。『読むJ‐POP・1945~2004』『70年代ノート』『陽の当たる場所~浜田省吾ストーリー』『ラブソングス ユーミンとみゆきの愛のかたち』『いつも見ていた広島 小説吉田拓郎 ダウンタウンズ物語』『みんなCM音楽を歌っていた 大森昭男ともう一つのJ‐POP』『歌に恋して―評伝・岩谷時子物語』など多数の著書がある。日本のロックポップスを創成期から見続けている一人。