20.12.27 update

川喜多長政 &かしこ映画の青春

1957 年、ロンドンで映画『ギデオン』を撮影中のジョン・フォード監督(右)を撮影所に訪ねる。フォード監督の隣は黒澤明監督。

近代女性のモデルになった
川喜多夫人

 私が映画を夢中になって見るようになったのは、敗戦直後、まだ十代の予科練帰りの少年だった頃だ。戦争に負けたおかげで見ることができるようになった外国映画をあびるように見て、戦争中の自分がいかに世界を知ることなく、独善的な軍国主義をうのみにしていたかを反省し、映画に志を立てた。当時私を夢中にした映画の中でとくに芸術的にすぐれていると思ったのは、東和商事という会社が戦前に輸入公開して、フィルム不足の敗戦後にも盛んにリバイバル上映していたトーキー初期のヨーロッパ映画だった。フランス映画の『巴里祭』や『どん底』、オーストリー映画の『未完成交響楽』や『たそがれの維納』。世界はこんなにも美しく魅力にあふれているのかと驚いたのである。

 この東和商事の社長が川喜多長政であり、その東和商事に英文タイプのできる若い秘書として入社して社長に見初められて結婚したのが川喜多かしこ夫人である。結婚して間もなく、一緒にベルリンに映画の買付けに行ったが、そのとき長政氏が、結婚の記念に一本は君の選んだ作品を買おうと言った。そこでまだ若いかしこ夫人が選んだのが『制服の処女』だった。これは長政氏が商売にはならないだろうと思った作品だが、日本で公開すると大ヒットで名作と評価された。以来、かしこ夫人の名声は高く、一時代を築いた東和配給の名作はみんな夫人の選んだものだというふうに噂された。事実そうなのかもしれないが、その点では長政氏はあえて沈黙することで夫人の名声を高めるよう心がけたという面があると私は思う。女性の実業家は珍しかったし、しかも文化的事業でリーダー的な女性となると日本社会の近代化のシンボル的な存在でもあり得たからである。一九三八年の松竹大船映画『半処女』では川喜多夫妻をモデルにしたと思われる人物を佐分利信と三宅邦子が演じている。そこでは三宅邦子の外国映画輸入会社の社長秘書が、たいへん聡明で理知的な、つまりは近代的な女性の模範として描かれている。川喜多夫人は近代女性のモデルになったのだ。

 川喜多夫妻は高級なヨーロッパ映画の輸入と配給の仕事で名声を得たのだが、本当の夢は日本映画の輸出で、夫人が東和に入社して長政氏から最初に与えられた仕事も溝口健二監督の新作の輸出のためにそのストーリーを英訳することだったそうである。しかし当時は日本映画の輸出は難しく、それならばと長政氏がやったのは、よく知っているドイツ映画の監督アーノルド・ファンク氏を日本に招いて日独合作映画の『新しき土』(一九三七)をプロデュースすることだった。この作品は新人の原節子を一躍大スターにしたことで有名になったものだ。

1956年のヴェネチア映画祭で、左から三益愛子、かしこ夫人、牛原虚彦監督、審査員を務めるルキノ・ヴィスコンティ監督、マリア・カラス。
1956年、ロンドン・フィルムの全スタジオを借り切って、直接関係者以外、ジャーナリストも カメラマンも一切立入禁止という状況のなか、特別な好意により『ニューヨークの王様』を撮 影中のチャーリー・チャップリンを訪ねた川喜多夫妻。
 
 1956 年、フランスのサン・モリス撮影所にジャン・ルノワール監 督『恋多き女』を撮影中のイングリッド・バーグマンを訪ねて。 左は娘の川喜多和子さん。
 
1964 年、イタリア映画際 で来日のクラウディア・カ ルディナーレと一緒に。こ の来日時にはテレビのス ター千一夜にも出演してい る。『刑事』『若者のすべて』 『山猫』『ブーベの恋人』 などでおなじみである。
1957年カンヌ映画祭にて川喜多夫妻、ジャン・コクトー、今井正監督作品でキネマ旬報、ブルーリボン賞、毎日映画コンクールなど数々の賞に輝いた映画『米』に出演の女優中村雅子。

1 2 3 4

映画は死なず

新着記事

  • 2024.03.29
    静嘉堂@丸の内「画鬼 河鍋暁斎×鬼才 松浦武四郎」...

    応募〆切:4月21日(日)

  • 2024.03.29
    若き才能・加藤拓也が挑む、演劇界の巨星・別役実の不...

    東京公演:4/6(土)~26(金)

  • 2024.03.29
    松嶋菜々子主演『リング』、そして『らせん』へとヒッ...

    文=河井真也

  • 2024.03.28
    【帯津良一・88歳のときめき健康法】 あぁ、狂おし...

    文=帯津良一

  • 2024.03.28
    サントリーホールの春の人気無料イベント 「オープン...

    4月6日(土)11:00~

  • 2024.03.28
    「しあわせになりたいなぁ」と呟くように歌唱する、国...

    「はるみ節」で、レコード大賞3冠受賞

  • 2024.03.27
    街という本を開くと

    変圧器はスクリーン

  • 2024.03.27
    画鬼・河鍋暁斎「地獄極楽めぐり図」と「武四郎涅槃図...

    4月13日(土)~6月9日(日)

  • 2024.03.26
    5年後(2029年)に高さ260mの高層ビルの出現...

    新宿駅西口地区開発計画

  • 2024.03.26
    軍事政権下の暗黒のミャンマーで闘う監督自らのドキュ...

    応募〆切:4月21日(日)

特集 special feature 

わだばゴッホになる ! 板画家・棟方志功の  「芸業」

特集 わだばゴッホになる ! 板画家・棟方志功の 「芸業...

棟方志功の誤解 文=榎本了壱

VIVA! CINEMA 愛すべき映画人たちの大いなる遺産

特集 VIVA! CINEMA 愛すべき映画人たちの大いな...

「逝ける映画人を偲んで2021-2022」文=米谷紳之介

放浪の画家「山下 清の世界」を今。

特集 放浪の画家「山下 清の世界」を今。

「放浪の虫」の因って来たるところ 文=大竹昭子

「名匠・小津安二郎」の生誕120年、没後60年に想う

特集 「名匠・小津安二郎」の生誕120年、没後60年に想う

「いい顔」と「いい顔」が醸す小津映画の後味 文=米谷紳之介

人はなぜ「佐伯祐三」に惹かれるのか

特集 人はなぜ「佐伯祐三」に惹かれるのか

わが母とともに、祐三のパリへ  文=太田治子

ユーミン、半世紀の音楽旅

特集 ユーミン、半世紀の音楽旅

いつもユーミンが流れていた 文=有吉玉青

没後80年、「詩人・萩原朔太郎」を吟遊す 全国縦断、展覧会「萩原朔太郎大全」の旅 

特集 没後80年、「詩人・萩原朔太郎」を吟遊す 全国縦断、...

言葉の素顔とは?「萩原朔太郎大全」の試み。文=萩原朔美

「芸術座」という血統

特集 「芸術座」という血統

シアタークリエへ

喜劇の人 森繁久彌

特集 喜劇の人 森繁久彌

戦後昭和を元気にした<社長シリーズ>と<駅前シリーズ>

映画俳優 三船敏郎

特集 映画俳優 三船敏郎

戦後映画最大のスター〝世界のミフネ〟

「昭和歌謡アルバム」~プロマイドから流れくる思い出の流行歌 

昭和歌謡 「昭和歌謡アルバム」~プロマイドから流れくる思い出の...

第一弾 天地真理、安達明、久保浩、美樹克彦、あべ静江

故・大林宣彦が書き遺した、『二十四の瞳』の映画監督・木下惠介のこと

特集 故・大林宣彦が書き遺した、『二十四の瞳』の映画監督・...

「つつましく生きる庶民の情感」を映像にした49作品

仲代達矢を映画俳優として確立させた、名匠・小林正樹監督の信念

特集 仲代達矢を映画俳優として確立させた、名匠・小林正樹監...

「人間の條件」「怪談」「切腹」等全22作の根幹とは

挑戦し続ける劇団四季

特集 挑戦し続ける劇団四季

時代を先取りする日本エンタテインメント界のトップランナー

御存知! 東映時代劇

特集 御存知! 東映時代劇

みんなが拍手を送った勧善懲悪劇 

寅さんがいる風景

特集 寅さんがいる風景

やっぱり庶民のヒーローが懐かしい

アート界のレジェンド 横尾忠則の仕事

特集 アート界のレジェンド 横尾忠則の仕事

60年以上にわたる創造の全貌

東京日本橋浜町 明治座

特集 東京日本橋浜町 明治座

江戸薫る 芝居小屋の風情を今に

「花椿」の贈り物

特集 「花椿」の贈り物

リッチにスマートに、そしてモダンに

俳優たちの聖地「帝国劇場」

特集 俳優たちの聖地「帝国劇場」

演劇史に残る数々の名作生んだ百年のロマン 文=山川静夫

秋山庄太郎 魅せられし「役者」の貌

特集 秋山庄太郎 魅せられし「役者」の貌

役柄と素顔のはざまで

秋山庄太郎ポートレートの美学

特集 秋山庄太郎ポートレートの美学

美しきをより美しく

久世光彦のテレビ

特集 久世光彦のテレビ

昭和の匂いを愛し、 テレビと遊んだ男

加山雄三80歳、未だ青春

特集 加山雄三80歳、未だ青春

4年前、初めて人生を激白した若大将

昭和は遠くなりにけり

特集 昭和は遠くなりにけり

北島寛の写真で蘇る団塊世代の子どもたち

西城秀樹 青春のアルバム

特集 西城秀樹 青春のアルバム

スタジアムが似合う男とともに過ごした時間

「舟木一夫」という青春

特集 「舟木一夫」という青春

「高校三年生」から 55年目の「大石内蔵助」へ

川喜多長政 &かしこ映画の青春

特集 川喜多長政 &かしこ映画の青春

国際的映画人のたたずまい

ある夫婦の肖像、新藤兼人と乙羽信子

特集 ある夫婦の肖像、新藤兼人と乙羽信子

監督と女優の二人三脚の映画人生

中原淳一的なる「美」の深遠

特集 中原淳一的なる「美」の深遠

昭和の少女たちを憧れさせた中原淳一の世界

向田邦子の散歩道

特集 向田邦子の散歩道

「昭和の姉」とすごした風景

information »

new ロマンスカーミュージアムが3周年記念イベントを開催!

イベント ロマンスカーミュージアムが3周年記念イベ...

4月10日(水)~5月27日(日)

「箱根スイーツコレクション 2024」開催中 4月22日(月)まで キャンペーンも実施中

箱根 「箱根スイーツコレクション 2024」開...

Instagramをフォローして、素敵な賞品をゲットしよう

あの人この人の、生前整理archives

あの人この人の、生前整理archives
読者の声
Social media & sharing icons powered by UltimatelySocial
error: Content is protected !!