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91歳の相撲記者・杉山邦博の秘蔵アルバム(最終章)

◇白鵬の連勝を阻んだ一番が残したもの

「抑制の美」そのままの相撲を思い出すのは、平成10年11月場所の2日目の横綱白鵬と当時平幕だった稀勢の里の対戦です。時に白鵬は63連勝、双葉山の持つ不滅の69連勝に臨む注目の場所でした。実況すれば……、

「東・白鵬、西・稀勢の里。立ち上がりました! 白鵬右から張って押して出ました。西土俵際に押し込まれた稀勢の里。右から突き落としで回り込み、土俵中央、激しい突っ張りあい。稀勢、左を差し、右上手を取りました。左四つ! 稀勢の里、上手を引き付けて出る。白鵬左内掛けで防ぐ! 稀勢、残して寄る。正面に寄り立てる。左差し手を抜いて白鵬の胸を押す。押し出し! 寄り切り! 稀勢の里の勝ち! 白鵬の連勝が63で止まりました」

写真【第69代横綱・白鵬は、15歳で6人の少年と来日したが、相撲部屋から声もかからず失意のままモンゴルに帰ろうとしていた時、旭鷲山の計らいで宮城野部屋に入門できることになった。鉄砲柱に向かい、すり足をやる一人稽古は入念に丹念に人の何倍もやり続けた。日本語を「涙そうそう」などの歌で覚えた白鵬は、大相撲の歴史なども深く学び、大関昇進の伝達式の口上は「全身全霊」という言葉を使った。平成26年11月場所で大鵬の優勝回数32回に並んだ優勝インタビューでは、「この国の魂と相撲の神様が認めてくれたから、この結果があります」と語り、日本人以上の日本人と言われた白鵬だった。照ノ富士の横綱誕生を見届け令和3年9月30日引退した。】

 白鵬は、正面審判長の右隣にお尻から落ちました。この後の二人が実に立派でした。白鵬は口がちょっと開きましたが、すぐ立ち上がる。勝った稀勢の里は、顔を真っ赤にして西土俵に戻り、東の土俵に戻る白鵬を待って二人はきちんとお辞儀をし、稀勢の里は荒い息遣いを抑えながら勝ち名乗りを受けました。敗れた白鵬は太ももをたたくでもなければ、天を仰ぐわけでもなく、何事もなかったように礼をして淡々と引き上げる。稀勢の里もガッツポーズをするわけでもなく顔だけは紅潮させていました。

写真【第72代横綱・稀勢の里は、平成14年3月場所初土俵。平成24年1月場所に新大関。すぐにも横綱と期待されたが大関は27場所にも及んだ。三度の綱とり挑戦で、平成28年3月場所13勝2敗、5月場所13勝2敗といずれも準優勝。平成29年1月場所初優勝を遂げ、横綱に昇進した。14年間途絶えていた日本出身横綱の誕生に期待された稀勢の里だった。3月場所13日目横綱日馬富士戦で左胸付近を抑えながら動けなくなった。14日目と千秋楽を強行出場、本割と優勝決定戦で照ノ富士を破り奇跡の逆転優勝を遂げた。「私の土俵人生において一片の悔いもございません」と涙ながらに支援者への謝辞を繰り返した】

 これは勝者も敗者も実に「抑制の美」を貫いた好勝負で、まさに双葉山の「木鶏の精神」を彼ら二人が土俵で実証してくれたと思いました。私は翌日の読売新聞の朝刊に「両者を讃える」というコメントを残したのです。そうしたところ、稀勢の里の師匠の鳴戸親方(おしん横綱と言われた隆の里)が、

「杉山さん、ありがとうございました。あの新聞を拡大コピーして稀勢の里に渡しました」と言ってくれました。私はそれを思い出すと今でも涙が出てきます。鳴戸親方は土俵の鬼、若乃花の弟子です。その指導を受けた孫弟子のような稀勢の里が、「勝って奢らず」という「抑制の美」を受け継いでいたのです。

 一方、白鵬は私に「木鶏とはどういう意味ですか?(注:前編参照)」と聞いてきました。私はそれに対し、その意味を詳細に記して白鵬に手渡しました。この時の二人はまさに双葉山の精神を見事に受け継ぎ、日本の相撲文化をきちんと伝承してきたと思いました。

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