加山雄三「君といつまでも」、郷ひろみ「男の子女の子」など流行歌の作詞、ミュージカル『レ・ミゼラブル』などの訳詞を手がけた岩谷時子

好きなことに命がけで生涯向き合うこと

ミュージカル『レ・ミゼラブル』日本版初演は1987年6月11日、帝国劇場で幕を開けた。ロンドン、ニューヨークに次いで世界で3番目。同作品初の非英語圏での上演だった。いきなり3ケ月のロングラン、東宝始まって以来の一大プロジェクトで、ジャン・バルジャンとジャベールを鹿賀丈史と滝田栄が交互に演じたほか、斉藤由貴、岩崎宏美、島田歌穂、野口五郎、鳳蘭、斎藤晴彦らが初演メンバーに名を連ねた。写真は97年6月帝国劇場でのカーテンコール。和服姿の岩谷のほか、鹿賀、岩崎、斎藤晴彦、村井國夫らの顔も見える。岩谷は初演のみならず、その後の公演のたびに歌詞に手直しを加えている。稽古場で演出家の意向をくみ、その場で直していた。

 岩谷時子の〝作法〟とは何だったのだろう。 

「書けなくて何日も寝られないというようなことはなかったんですか」という質問に彼女はこう答えてくれた。 

「かなりありました。ミュージカルは全部そうですね」

 宝塚での越路吹雪上演作のシャンソンの訳詞をしていた岩谷時子が、日本のミュージカルの歴史を作った訳詞家であることはあまり語られていないかもしれない。

 外国語の作品を日本語で歌う。その代表作が『レ・ミゼラブル』である。初演は1987年。ロンドンで初めて上演されてから二年後、すでに世界30カ国以上でヒットしてからの日本上陸だった。 

 その答えは、こう続いていた。

「作者が言おうとしていることと私が書いた言葉が違ってるんじゃないかとか。私が間違いを犯してるんじゃないかと思ったり。命がけでやってますし。簡単に言えば真面目なの」

 最後の「真面目なの」は笑顔の冗談口調である。でも、さらりと口にした〝命がけ〟は、こちらの胸に刺さった。

『レ・ミゼラブル』初演の際、途中から加わった彼女は三日三晩徹夜で詞を書き直していたという。それ以降、再演のたびに新たな手直しを加えていた。しかも稽古の現場に泊まり込んで作業をしていたというのである。

 彼女は「嫌な思い出は全くないですけど、死にものぐるいだったことは憶えてます」と言った。

 その時、彼女は70代にさしかかっていた。若い役者やスタッフの間に混じって辛いと思うことはなかったのだろうか、と思った。 

「一行でも二行でも、もっと良い言葉はないか、と思って過ごしているわけですから、辛くても好きなことをしているわけで、やりたいことが出来る人間は幸せですよ。恋をして泣くより全然良いです」 

 それが彼女の〝作法〟だったのではないだろうか。越路吹雪のマネージャーをしながらも報酬のような金銭は受け取らなかったという話は有名だ。 

 生涯、好きなことに没頭すること。もし、それが出来ているとしたら、そこに命がけになること。取り乱したり、愚痴や泣き言を言わないこと。現場に居続けること。そして、付け加えれば、笑顔を絶やさないこと──。

 今年は彼女の生誕100年の年だ。

 僕は、今年70歳になる。 

 彼女のそんな言葉が、今の指針である。

 取材中に90歳の誕生日があった。 

 初めて、恋人でもない女性にバラの花束を持って帝国ホテルに向かった。

 その時の彼女の笑顔は僕の一生の宝物だ。

『レ・ミゼラブル』でジャン・バルジャンとジャベールを演じた滝田栄と岩谷
1992年4月帝国劇場で幕を開けたミュージカル『ミス・サイゴン』の訳詞を手がけたのも岩谷時子。『レ・ミゼラブル』同様、キャストはすべてオーディションにより、エンジニア役市村正親、クリス役に岸田智史、そしてヒロインのキム役に当時アイドルの本田美奈子が抜擢された。岩谷と本田の出会いで、生涯にわたるつきあいが始まった。本田の生前最後のオリジナル曲「時~Forever For Ever」は、本田から岩谷時子の名前の「時」をテーマに書いて欲しいととの依頼により作られた曲だった。

『ミス・サイゴン』の市村、井上芳雄、新妻聖子ら出演者との一枚。
女優淡島千景の叙勲パーティで祝辞を述べる岩谷時子。淡島と岩谷は、同じ宝塚出身ということで、プライベートでも食事を共にしたり、自宅を訪問しあうなど、生涯を通して親しくつきあう仲だった。
俳優の宇野重吉と。宇野は越路吹雪の遺作となった舞台『古風なコメディ』の演出家でもあった。岩谷は演劇人との親交も深く、なかでも杉村春子とは手紙のやりとりをするほど通じ合った仲で、多くの書簡が遺されている。

たけ ひでき

1946 年、千葉県船橋市生まれ。69 年、タウン誌のはしりだった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、音楽番組パーソナリティとして活動中。『読むJ‐POP・1945 ~2004』『70 年代ノート』『陽の当たる場所~浜田省吾ストーリー』『ラブソングス ユーミンとみゆきの愛のかたち』『いつも見ていた広島 小説吉田拓郎 ダウンタウンズ物語』『みんなCM音楽を歌っていた 大森昭男ともう一つのJ‐POP』『歌に恋して―評伝・岩谷時子物語』など多数の著書がある。日本のロックポップスを創成期から見続けている一人。

2016年4月1日 Vol.27より

1 2 3 4

サントリー美術館様

特集 special feature 

91歳の相撲記者・杉山邦博の秘蔵アルバム(最終章)

91歳の相撲記者・杉山邦博の秘蔵アルバム(最終章)

名場面、名勝負の土俵に人生あり

挑戦し続ける劇団四季

挑戦し続ける劇団四季

時代を先取りする日本エンタテインメント界のトップランナー

御存知! 東映時代劇

御存知! 東映時代劇

みんなが拍手を送った勧善懲悪劇 

寅さんがいる風景

寅さんがいる風景

やっぱり庶民のヒーローが懐かしい

アート界のレジェンド 横尾忠則の仕事

アート界のレジェンド 横尾忠則の仕事

60年以上にわたる創造の全貌

東京日本橋浜町 明治座

東京日本橋浜町 明治座

江戸薫る 芝居小屋の風情を今に

「花椿」の贈り物

「花椿」の贈り物

リッチにスマートに、そしてモダンに

俳優たちの聖地「帝国劇場」

俳優たちの聖地「帝国劇場」

演劇史に残る数々の名作生んだ百年のロマン

「芸術座」という血統

「芸術座」という血統

名作『放浪記』の舞台から「シアタークリエ」へ

秋山庄太郎ポートレートの美学

秋山庄太郎ポートレートの美学

美しきをより美しく

久世光彦のテレビ

久世光彦のテレビ

昭和の匂いを愛し、 テレビと遊んだ男

加山雄三80歳、未だ青春

加山雄三80歳、未だ青春

4年前、初めて人生を激白した若大将

昭和は遠くなりにけり

昭和は遠くなりにけり

北島寛の写真で蘇る団塊世代の子どもたち

西城秀樹 青春のアルバム

西城秀樹 青春のアルバム

スタジアムが似合う男とともに過ごした時間

「舟木一夫」という青春

「舟木一夫」という青春

「高校三年生」から 55年目の「大石内蔵助」へ

川喜多長政 &かしこ映画の青春

川喜多長政 &かしこ映画の青春

国際的映画人のたたずまい

ある夫婦の肖像、新藤兼人と乙羽信子

ある夫婦の肖像、新藤兼人と乙羽信子

監督と女優の二人三脚の映画人生

中原淳一的なる「美」の深遠

中原淳一的なる「美」の深遠

昭和の少女たちを憧れさせた中原淳一の世界

Present

あの人この人の、生前整理archives

あの人この人の、生前整理archives

私にとっての箱根 archives

私にとっての箱根 archives

information

小田急沿線さんぽ 

読者の声
Social media & sharing icons powered by UltimatelySocial
error: Content is protected !!