町田のオリジナルを生み出す場所に触れる
TOWN STORY 2017年10月1日号より
町田散歩は今回で2回目となる。前回は2009年、第2号で作家の常盤新平さんとともに ──昭和の面影を訪ねて──という趣で実施した。常盤新平さんも、2013年に鬼籍に入られた。あれから8年、町田はどのように様変わりしているのだろうか。今回、町を歩いて嬉しかったのは、当時訪ねた5軒の店が今も元気だということ。常盤新平さんと歩いたあの頃を思い出しながら町田ゆかりの映画監督であり詩人の中川龍太郎さんと今再びの町田へ。
20 代の中川龍太郎さんの目には、町田はどのように映るのだろうか。
文=中川龍太郎
photograph by Ayumu Gombi
高校時代、繁華街といえば町田だった。
繁華街といっても、際限なく広がっている新宿や渋谷とはわけが違う。歩けば必ず同級生たちと会ったものだ。誰かが女の子と歩いているのを発見した日には大変だ。彼は翌日には厳しい詮議と査問の対象になる。
とはいえ、進歩的な同級生たちは町田を出て都心か横浜に行っていた。東京とも神奈川ともつかない中途半端なイメージとともに、僕たちは町田を出たがり、しかし同時に安心感も覚えていたのではなかったか。
放課後、家に帰るのがなんとなく嫌で、かといって勉強するわけでも、部活動に打ち込むわけでもなかった僕は、友人と際限なくお喋りばかりをしていた。その合間に僕は詩のようなものを書くようになっていった。友人と語る中で、話すだけでは埋められない余白が自己の内側にあることを発見していき、その疼きが
僕に言葉の連なりを書かせた。
17歳のとき、『雪に至る都』という詩集を出版した。
本を出す前後、知識や芸術を熱望する心は次第に強くなり、僕もまた町田より新宿や渋谷のより大きな書店やレンタルビデオ店、それから映画館に通うようになった。
それから10年、今もまだ僕は町田を出られてはいない。当時お喋りをしていた同級生や先輩たちと小さな会社を町田に創り、そこに所属して僕は映画を作っている。
先代からの息子に受け継がれた
料理人の矜持と本格的な味

COCIDO
コシード
小田急小田原線町田駅の東口側、かつては市舎だった建物に、今は数十の会社が入っていて、その一角に僕たちの事務所がある。
昼食はいつも隣にある〈地中海料理 コシード>でとる。
学生から家族連れ、老若男女、幅広い層で昼も夜もごった返す人気店だが、気取らない家庭的な雰囲気で落ち着く。
グルメなんていう言葉とはまったく縁遠い自分でも明らかに分かる美味しさ。壁中に所狭しと貼られたメニューはなんと100以上というから驚く。パエリアやブイヤベースといった定番メニューもさることながら、無数のオリジナルのメニューが
あり、さらに日々新しいメニューが生み出されてはテーブルに並べられる。そのどれもが飾らない創意工夫にあふれていて、ものを作る人間の端くれとして、ずっと尊敬の想いを抱いていた。
店は昨年亡くなられた先代の田中正明さんが1986年に開業。ランチに行ってカウンター席に座ると、赤いTシャツ姿の先代はいつも厨房の先頭に立っていて、厳しい眼光で周囲に目を光らせていた。その静かで凛とした眼差しと佇まいに僕は正直憧れのような感情を抱いていた。
まだスペイン料理が一般的でなかった40年くらい前のこと、先代は荒くれ者揃いのシェフたちの中でスペイン料理の厳しい修業を積み、同じ職場で奥さんの勝子さんと出会い、ここ町田でコシードを開いたとのこと。先代が紡いできた味と、その眼差しは次男である今のオーナーシェフ勲さんに引き継がれている。
厨房では凛々しく男らしいシェフたちが各々キビキビと無駄の一切ない動きで料理という、消えてゆく奇跡を生み出していく。その動きと連携を見ているだけでも胸が躍る。厳しい修業のなかで料理を学んでこられた先代の名残りがそこにもまた刻まれているのだろうか。
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