毎日を精いっぱい生きる

文=小山明子

最愛の夫を見送って 深く考えるようになった 私自身の生き方

 

夫の大島渚が亡くなって三年が経ちました。
十七年に及ぶ介護生活。最後の三年くらいは、生きていればこんな楽しいこともあると思ってもらいたいと、限られた生命をどう過ごすか考えつづけていました。
介護度5でも、「京都へ行きたい」と言い出したときは、えっと思いましたが、大学の同窓会に連れて行きました。
息子からパパが死んだらどうするのと、反対されましたが、思い出のホテルを予約し、友達を招き、医者の兄、お友達の澤地久枝さんにも同行してもらって、楽しい旅となりました。
後悔しない介護を、心がけました。本人の希望はなんでもきく、彼が喜んでくれるのが、私の幸せだったからです。
墓は鎌倉建長寺内、回春院に結婚四十五周年記念に造りました。先祖とは別に夫婦二人だけで入る墓が欲しかったからです。
大島の育った瀬戸内海の石に「深海に生きる魚族のように自ら燃えなければ何処にも光はない」という明石海人の言葉を、そのまま墓石にきざみました。
私自身も死について、深く考えるようになりました。
よき死を迎えるために、今を精いっぱい生きようと。

 

大切な人たちに生き形見を遺すことと触れ合った想い出を残すこと

 

私の実家の法事のときには、親戚の子たちに形見分けしています。ネックレス、ブローチ、指輪などをくばって、親しい友人たちにも洋服や着物をあげるようにしています。死んでからもらうより、生きているうちにと思って、生き形見ですね。
身近に長患いの夫を看取ったので、私はピンピンコロリで最期を迎えるために、六十四歳から始めた水泳は、今でも週一回通っていますし、最近は麻雀教室にも通っています。
今年も一月、歌舞伎座に出かけ、仲良しの友達との食事会、クラシック音楽会、ジャズのライブと、初めてのことにも挑戦しています。

東日本大震災後、大熊中学校(編注・会津若松市大熊町)に、毎年本をお送りしていますが、子供たちからのお礼の色紙は、私の宝物です。
福島で知り合った震災で家を流された女性が、カラオケ大会で着物を着たいとのことで、すぐ着物と帯をお送りし、とても喜ばれました。これからも忘れずに、人の役に立つ支援活動をしていこうと思っています。

私は息子や孫たちにお金は残さないと決めていて、その代わり孫たち一人ずつと、二人旅をしようと思いつきました。
今まで、山口、広島、鎌倉、そして去年は中学生の男の子と伊豆下田に二人旅。こんなことを考えているのかとびっくりするやら、教えられることも多々あり、面白い旅となりました。

こんなおばあちゃんだったと、想い出してもらえたらいいなと。さて、今年は誰と何処へ行こうかと、楽しみにしています。

illustration by takao nakagawa

こやま  あきこ

1935 年千葉県生まれ。55 年松竹映画『ママ横をむいてて』でデビュー。60年大島渚氏と結婚、翌年松竹退社。96年大島氏が脳出血で倒れてからは、女優業から距離を置いて介護に専念するも、看病疲れなどから自らうつ病となる。病を克服して、01 年個人事務所を設立し、介護をテーマにした講演やコメンテーター、執筆などを中心に活動している。『パパはマイナス50点 介護うつを越えて夫、大島渚を支えた10 年』で、第25 回日本文芸大賞エッセイ賞を受賞。他に『小山明子のしあわせ日和』、『男と女のちょっと気になる話』(大島渚と共著)などがある。


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