20.12.27 update

岩下志麻さんへ ─ 姫、と呼ばせていただきます。 

一つの作品が終わるとその役の色をすべて洗い流して一旦、真っ白な状態にする。
そこから、新たに出会った役の色創りが始まります。

美しく命がけの献身的表現者

 志麻さんは普段はおっとりなさっているが、一旦脚本を手にすると撮影中はもとより、私生活までも作品の〈役〉と一体化し、支配されてしまういわゆる〈憑依系〉の女優さんだと拝見している。映画『鬼畜』では子供を虐待する役であった。赤ちゃんの口に御飯を無理矢理詰め込み、果ては事故に見せかけてその子を夫に殺させてしまう。撮影中、志麻さんは子供に嫌われるよう子役と一切口をきかなかったという。ある時、撮影に向かう新幹線で、車内を走り回る煩い子供がいた。堪り兼ねた志麻さんは、役柄そのままに叱りつけてしまった。また映画『卑弥呼』の撮影では、愛娘出産直後の折であり、母乳で育てたいという志麻さんの思いとは裏腹に、脚本を受け取った途端に役柄である卑弥呼に入り込み過ぎて、母乳が突然止まり、彼女が近寄ると娘さんが泣き、抱擁することも拒絶されたとか。本当に辛かったそうだ。赤ん坊の愛娘は志麻さんを母親と認識できなかったのである。


 観客にとっては迫真に迫る役者の姿であるが、その私生活を犠牲にせざるを得ない不器用で、そして突き抜けた生き方に、恐れ多いが共鳴する。なぜなら僕自身も写真を撮っていて、毎回毎回、被写体に入り込んでしまうからである。志麻さんを撮影する時は、僕は〈岩下志麻〉になってしまう。ウワッと〈岩下志麻〉さんの気持が憑りつく……。これほど美しく命がけの献身的表現者を撮影するには、それ相当の神経と体力が必要となる。そして僕は志麻さんの影と存在感を撮影後まで引きずる。興奮した余韻を楽しむという穏やかな話ではない。撮影後、翌早朝まで部屋にこもって志麻さんが出演した映画を繰り返し見続け、興奮したまま繰り返し大声で〈一人芝居〉をしてしまう。一種のトランス状態である。それで何度となく警察に通報されたことがある。

撮る立場から撮られる立場にという、いつもとは勝手が違う状況に加え、憧れの大スターであり尊敬してやまない「姫」こと、岩下志麻さんとの2ショットに、撮影前は「どうしよう、緊張する」を連発していた下村一喜さんだったが、いざ撮影に臨むと、どうしてどうして見事なモデルぶりを発揮。下村さんが着用しているのは愛用のティエリー・ミュグレーのスーツ。撮影の合間には、志麻さん主演の数々の映画のシーンについて、するどい質問を投げかける下村さん。この秋には下村さんの撮影による『岩下志麻のきもの語り』が発行される。女優と写真家の信頼関係から生まれた美の結晶ともいえる一冊である。

 僕は志麻さんのことを愛する余り〈姫〉と呼ばせていただいている。「17歳からこの仕事を続けてきて、様々な役の人生を生きて来た。どれが本当の自分か迷うこともあった」と〈姫〉がおっしゃっていた。〈大女優〉という形容のほかに、志麻さんをお呼びするのに〈姫〉という言葉以外、僕には思い当らない。


 姫、命がけで僕たちにいつも夢を見させてくださって、本当に本当にありがとう。


岩下志麻
女優。1958 年にNHKのドラマ「バス通り裏」に出演後、60 年松竹映画『笛吹川』でスクリーンデビューを果たし、映画史に残る数々の作品に主演し現在も第一線で活躍を続ける。映画『乾いた湖』『あの波の果てまで』『わが恋の旅路』『夕陽に赤い俺の顔』『切腹』『秋刀魚の味』『古都』『暗殺』『五辨の椿』『雪国』『おはなはん』『紀ノ川』『あかね雲』『智恵子抄』『宴』『祇園祭』『赤毛』『心中天網島』『わが恋わが歌』『日も月も』『影の車』『無頼漢』『婉という女』『嫉妬』『沈黙 SILENCE』『内海の輪』『辻が花』『卑弥呼』『桜の森の満開の下』『はなれ瞽女おりん』『雲霧仁左衛門』『鬼畜』『悪霊島』『鬼龍院花子の生涯』『この子の七つのお祝いに』『疑惑』『北の蛍』『瀬戸内少年野球団』『迷走地図』『鑓の権三』『極道の妻たち』シリーズ『桜の樹の下で』『少年時代』『写楽』『霧の子午線』『瀬戸内ムーンライト・セレナーデ』『スパイ・ゾルゲ』、テレビ「花いちもんめ」「元禄一代女」「ぎんぎんぎらぎら」「鹿鳴館」「風の中の女」「天草の雅歌」「私は忘れたい」「氷紋」「晩秋」「禁じられた美徳」「さよならの夏」「草燃える」「額田王」「さよならお竜さん」「早春スケッチブック」「女たちの大阪城」「独眼竜政宗」「大忠臣蔵」「花の降る午後」「黒蜥蜴」「夜に抱かれて」「葵 徳川三代」「夏の日の恋」「トイレの神様」など多数の出演作がある。また、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞はじめ、ブルーリボン賞、キネマ旬報賞、毎日映画コンクール、日刊スポーツ映画大賞など数多くの女優賞を受賞。04年に紫綬褒章受章。

下村一喜
写真家、映像監督。1973 年、兵庫県宝塚市生まれ。多摩美術大学在学中より写真家として活動。01 年より渡仏、フランス版「madame FIGARO」誌のカバーをはじめ、ヨーロッパで仕事を展開する。また、伝説的カルチャー誌、イギリスの「THE FACE」誌のカバーを日本人写真家として初めて飾る。6 年間の滞在後帰国。現在、国内外の雑誌の表紙、CDジャケット、広告ではパナソニックやソフトバンク、資生堂やメナード化粧品など大手をクライアントに持つ。また、浜崎あゆみをはじめとするミュージシャンのプロモーションビデオなどの音楽映像の監督、コマーシャルの監督など映像の分野でも活躍中。「女優を撮ることがライフワーク」という言葉に違わず、銀幕の大女優から新進気鋭の若手女優まで、多くの女優の指名を受け数多くの作品を撮影している。マネージメント事務所は、日本ではAVGVST、フランスではOLIVIER ROZETに所属し、国際的に活躍している。

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