岩下志麻さんへ ─ 姫、と呼ばせていただきます。 

一つの作品が終わるとその役の色をすべて洗い流して一旦、真っ白な状態にする。
そこから、新たに出会った役の色創りが始まります。

美しく命がけの
献身的表現者

 志麻さんは普段はおっとりなさっているが、一旦脚本を手にすると撮影中はもとより、私生活までも作品の〈役〉と一体化し、支配されてしまういわゆる〈憑依系〉の女優さんだと拝見している。映画『鬼畜』では子供を虐待する役であった。赤ちゃんの口に御飯を無理矢理詰め込み、果ては事故に見せかけてその子を夫に殺させてしまう。撮影中、志麻さんは子供に嫌われるよう子役と一切口をきかなかったという。ある時、撮影に向かう新幹線で、車内を走り回る煩い子供がいた。堪り兼ねた志麻さんは、役柄そのままに叱りつけてしまった。また映画『卑弥呼』の撮影では、愛娘出産直後の折であり、母乳で育てたいという志麻さんの思いとは裏腹に、脚本を受け取った途端に役柄である卑弥呼に入り込み過ぎて、母乳が突然止まり、彼女が近寄ると娘さんが泣き、抱擁することも拒絶されたとか。本当に辛かったそうだ。赤ん坊の愛娘は志麻さんを母親と認識できなかったのである。


 観客にとっては迫真に迫る役者の姿であるが、その私生活を犠牲にせざるを得ない不器用で、そして突き抜けた生き方に、恐れ多いが共鳴する。なぜなら僕自身も写真を撮っていて、毎回毎回、被写体に入り込んでしまうからである。志麻さんを撮影する時は、僕は〈岩下志麻〉になってしまう。ウワッと〈岩下志麻〉さんの気持が憑りつく……。これほど美しく命がけの献身的表現者を撮影するには、それ相当の神経と体力が必要となる。そして僕は志麻さんの影と存在感を撮影後まで引きずる。興奮した余韻を楽しむという穏やかな話ではない。撮影後、翌早朝まで部屋にこもって志麻さんが出演した映画を繰り返し見続け、興奮したまま繰り返し大声で〈一人芝居〉をしてしまう。一種のトランス状態である。それで何度となく警察に通報されたことがある。

撮る立場から撮られる立場にという、いつもとは勝手が違う状況に加え、憧れの大スターであり尊敬してやまない「姫」こと、岩下志麻さんとの2ショットに、撮影前は「どうしよう、緊張する」を連発していた下村一喜さんだったが、いざ撮影に臨むと、どうしてどうして見事なモデルぶりを発揮。下村さんが着用しているのは愛用のティエリー・ミュグレーのスーツ。撮影の合間には、志麻さん主演の数々の映画のシーンについて、するどい質問を投げかける下村さん。この秋には下村さんの撮影による『岩下志麻のきもの語り』が発行される。女優と写真家の信頼関係から生まれた美の結晶ともいえる一冊である。

 僕は志麻さんのことを愛する余り〈姫〉と呼ばせていただいている。「17歳からこの仕事を続けてきて、様々な役の人生を生きて来た。どれが本当の自分か迷うこともあった」と〈姫〉がおっしゃっていた。〈大女優〉という形容のほかに、志麻さんをお呼びするのに〈姫〉という言葉以外、僕には思い当らない。


 姫、命がけで僕たちにいつも夢を見させてくださって、本当に本当にありがとう。

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