大スター、名俳優ということで語られることがない人たちかもしれないが、
青春の日々に密かに胸をこがし、心をときめかせた私だけのアイドルやスターたちがいる。
今でも当時の映画を観たり、歌声を聴くと、憧れの俳優や歌手たちの面影が浮かび、懐かしい青春の日々がよみがえる。
プロマイドの中で永遠に輝き続ける昭和の〝わが青春のアイドル〟たちよ、今ひとたび。
企画協力・写真提供:マルベル堂
7月9日、女優・和泉雅子が77歳で逝った。7月31日には78歳の誕生日を迎えるはずだった。7月19日付のスポーツ各紙は、和泉雅子の死去を大きく報じた。和泉雅子の肩書は俳優、冒険家となっている。和泉雅子と言えば、「地球の〝てっぺん〟に立ちたい」と北極点への挑戦を思い立ち、1985年の一回目の挑戦ではゴールを目前に断念したが、4年後に再度挑戦し、海氷上から日本人女性として初めて北極点到達を果たしたことで、女優より冒険家としてのイメージが強くなったが、ここでは女優・和泉雅子の足跡をたどってみたい。
スポーツ各紙の中で、スポーツ報知は都内でのコンサートの開演前の舟木一夫に電話取材を実施し、6段抜きで取り上げている。和泉雅子と舟木は、日活で64年の『あゝ青春の胸の血は』を皮切りに、『北国の街』、『高原のお嬢さん』、『哀愁の夜』、『友を送る歌』、『絶唱』と66年までに6本の映画で共演している。雑誌のグラビア撮影や対談などで一緒になることも多く、その後も会えば「舟木くん」「マコちゃん」と呼びあう仲だった。
記事によると「悲しい、とかでもないんだけど涙が出る。青春の一部だからね。思い出というより、そのものだから……。勝手にサッサと逝っちゃってさ」と舟木は声を詰まらせながら思いを語り、喪失感を口にしたという。そして共演作の中でも和泉にとっても舟木にとっても代表作のひとつと言える悲恋映画『絶唱』の歌唱について、「(きょうの)コンサートで『絶唱』を歌おうか外そうか迷っている。お客様も聴くとつらいかもしれないし、きょうはどうしていいか分からなくて……」と迷っていた舟木だが、『絶唱』をはじめ和泉との共演作の楽曲も予定通り披露したということだ。どんな思いで歌ったのか、その心中は察するに余りある。
〝日活三人娘〟と言われた吉永小百合と松原智恵子も、さらに共演作の多い高橋英樹も追悼の言葉を寄せている。同じ時期に日活撮影所で青春のときを過ごした同年代の仲間たちにとって、末っ子的存在だった和泉雅子。つらい別れである。