中止すべきか進むべきか
正解がない状態
――3月13日の『ピサロ』の初日へと向かうなか、コロナ問題が深刻な状況になってきました。
佐藤 日々刻々と変化していきましたよね。『ピサロ』の担当プロデューサーと演劇事業のマネジメントスタッフのみんなと毎朝事務所に集まっていました。その時点で決定的だったのは、2月26日に出された「スポーツや文化イベント等について今後2週間は中止、延期、規模縮小等の対応」という要請でしたね。ちょうど、『ピサロ』が稽古場から劇場へ入るという段階でした。粛々と稽古場での稽古を重ね、いよいよ劇場に入ろうとする段階での要請は応えましたね。本当にこのまま進められるのかと、キャスト、スタッフからも心配の声があがっていました。進めていいのか悪いか、正解がない状態だったじゃないですか。他の劇場で、2月末から3月初めに予定されていた公演が軒並み中止になっていく中で、やめなければいけないのか、続けていくには何が必要なのかというのを、日々みんなで討論していました。2月までやっていたパルコ・プロデュース『FORTUNE(フォーチュン)』(東京芸術劇場プレイハウス)という公演が東京、松本、大阪とまわり北九州が最後だったのですが、北九州の1公演は実施して残り4公演は中止になりました。それが最初に中止になった公演でした。
――いずれの結論を出すのか、葛藤があったのではないでしょうか。
佐藤 日々話し合う中、今この時点でやめたら、何を拠りどころにして復活するんだという明確な理由が見えない状況だし、でもこのまま進めたら、進むのもいばら、やめるのもいばらと、いろんなせめぎ合いがありました。芝居のカンパニーとしては続けていこうという意思があっても、お客様はどう受け止めるのだろうか、それにパルコという会社としての判断も関わってきます。われわれエンタテインメント事業部が向き合っているお客様と、会社が向き合っているお客様、株主の方々もいらっしゃるわけですから、いろんな角度から考えなければいけないわけですが、会社側は、エンタメ事業部の演劇事業という立場でお客様に向き合うことが、会社の意思とイコールになるからという姿勢をとってくれたので、やめるにしても進むにしても、どちらにもできたのですが、事業体それぞれに、たとえばテレビ局はテレビ局としての方針があるでしょうし、小劇場も死活問題だからやり続ける方向をとったでしょうし、いろいろな情報を精査し、状況を見ながら判断していったということですね。
――『ピサロ』の初日は当初の一週間遅れでした。
佐藤 初日の前々日くらいに「パルコは予定通り初日を開けます」という宣言を担当役員からカンパニー内にしたのですが、直後に、WHOのパンデミック宣言により一転、昨日やると言った口で、翌日にはやはり中止ですと言わざるを得ない状況でした。日々刻々と変わる状況の中で、本当に先が読めなくて、正しいあり方はどうなのかと、修正を加えながらやっていましたね。結局、初日は3月20日に開けることができましたが、トータルでは10回の上演になってしまいました。その後、飲食関係の休業の要請にともなう、夜間と週末の外出自粛要請に対しても、演劇界というのは真摯に対応していたと思います。4月7日の緊急事態宣言の発出とともに、PARCO劇場5月公演のオープニング・シリーズ第2弾の佐々木蔵之介さん主演『佐渡島他吉の生涯』の中止を決めました。そしてPARCO劇場での上演の演目だけでなく、新国立劇場での『裏切りの街』など他劇場でのパルコ・プロデュース作品も後に中止としました。緊急事態宣言のときに、今後予定されているすべての公演が今どんな進行状況で、中止にしたらどういう影響が出るのか、企業ですからお金の面ももちろんありますが、集まってくださっているキャスト、スタッフたちがその作品に対してどういう気持の段階なのかということも含めて、担当プロデューサーから作品ごとに話をしてもらいました。
――休館中はどんなことを考えていましたか。
佐藤 心を痛めることがいろいろありすぎて。ゴールデンウイークくらいまでは収束はしないよと1月ころにすでに言われていたのが、本当にそういう状況になってしまっていて、希望的観測なんかまったく意味がないのだと思い知ったわけです。すでに秋の公演を中止するところも出てきていました。春の段階で半年以上先の公演が中止になっていくのを見て、それを考えると年内の公演再開さえもが危惧されていた状況にあって、夏以降の公演に関して、どうのようにモチベーションをもって向き合っていくのかと話し合いをしていても誰もが不安だし、大丈夫なんて誰も言えない。底の見えないモヤモヤというものが本当にありましたね。