京成電車下町さんぽ

徳川慶喜、渋沢栄一ほか多くの歴史人を訪ねる谷中散歩は、京成「日暮里駅」南口から

谷中霊園の中心的な存在の墓碑

 広い園内、たどり着けるかと不安になったが、その天王寺からまっすぐに延びた春には桜のトンネルができる「さくら通り」を行くと、「谷中霊園・著名人墓碑」が見つかった。そこに墓所番号が記されていて、まずは案内板に従って徳川慶喜から。

 霊園内の一画、寛永寺墓地に、葵の御紋のある塀に囲まれた広い墓所は、東京都指定史跡と記されていた。柵の間から覗くと慶喜と妻の美賀子と刻まれた文字が見える。慶喜は武家政権最後の征夷大将軍となり、駿府で余生を送っていたが、大政奉還後、30年ぶりに明治天皇に謁見し、華族の最高位である「公爵」を賜った。明治天皇に感謝の意を表すために、葬儀を仏式でなく神式で行う遺言を残したため、一般皇族と同じような円墳が建てられたのである。慶喜の波乱に満ちた生涯を、NHK大河ドラマで辿ってみると、「青天を衝け」(2021)では草彅剛、「西郷どん」(2018)では松田翔太、「八重の桜」(2013)では小泉孝太郎、「龍馬伝」(2010)では田中哲司、「篤姫」(2008)では平岳大、「新選組」(2004)では今井朋彦、「徳川慶喜」(1998)では本木雅弘、「翔ぶが如く」(1990)では三田村邦彦、「花神」(1977)では伊藤孝雄、「勝海舟」(1974)では津川雅彦、「竜馬がゆく」(1968)では初代尾上辰之助が演じている。ドラマの主人公との兼ね合いや俳優の個性で徳川慶喜像も様々だが、時代と命がけで格闘した将軍であることは間違いない。その苦悩と葛藤を思いつつ、御紋の前で静かに手を合わせた。

 慶喜から少し離れた「乙11号1側」が渋沢栄一の墓所である。「青天を衝け」では、主人公の渋沢栄一を吉沢亮が演じた。渋沢は慶喜が将軍に就く前からの家臣で、幕臣となっても慶喜を支えた。渋沢は25年をかけて慶喜の伝記『徳川慶喜公伝』を著し、慶喜の名誉回復を伝えようとした。慶喜への敬意を払うためであろうか、渋沢の墓は慶喜の墓の方向を向いていた。

▲塀に囲まれた約300坪もある徳川慶喜の墓(左)。「徳川慶喜家」の5代目当主にあたる玄孫の山岸美喜さんからは、個人が永続的に管理する限界を感じ、墓じまいをする決意をしたという発表もあった。今後は上野東照宮が引き継ぐ方向のようだ。渋沢栄一の墓所も、渋沢栄一、妻の千代・兼子、渋沢敬三らの墓が眠る広い敷地である。

 


  さくら通り沿いでひときわ目を引くのが、「オッペケペー節」を作った新派劇の創始者・川上音二郎の墓だ。NHK大河ドラマ「春の波濤」(1985)では、音二郎を中村雅俊が演じ、その妻で日本の女優第一号というべき川上貞奴は、松坂慶子が演じた。円柱状の大きな石柱の上には、「川上音二郎君乃像」と銘板がはめ込まれ、「顕彰碑」として存在している。川上音二郎と言ってもあまりピンとこない人も多いが、音二郎は妻の貞奴とともに、海外での商業演劇を成功させた人物である。いわば、日本で最初の世界的エンターテイナーだ。その功績を後世に伝えるため貞奴や後援者が建立したと言われ、きわめて印象的な墓だった。

 何の因果か、鳩山一郎と横山大観の墓は隣り合わせだった。調べてみると、鳩山は大観の芸術性を高く評価していたようだ。横山が亡くなったのは1958(昭和33)年、鳩山が亡くなったのは1959(昭和34)年、黄泉の国でも仲良くしているに違いない。 

▲川上音二郎の墓はさくら通り沿いにあり見上げるばかりの高さもあってかなり目立つ。鳩山一郎・妻の薫の墓と横山大観の墓は隣り合わせだ。どちらのお墓にもお花が供えられていた。

 

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