─座右の銘とされている「一代一職」について伺います。
奥 山 修行で苦しかったとき、出合ったのが「一代一職」という言葉でした。「与えられた仕事こそが、生涯をかけて取り組むべき仕事である」という信念のもと励んできました。伊勢神宮に作品を寄贈したとき、座右の銘とする「一代一職」を揮毫しましたが、別の言葉も依頼されその場で揮毫したのが、「夢は大きく、目標は小さく」でした。伊勢神宮の神聖な空気の中でひらめいた言葉ですが、まさに大きな夢はあっても、目の前の小さなことを着実に成し遂げていかなければいけない、日ごと私が大切にしていることです。
人間国宝になったからといって、職人として必死にやってきた時と変わりはありません。喜ばれるものを作っていきたいです。

制作年:2015年
材質:銀/赤銅/銅/金/蓋は木
─北区の名誉区民になられていますが、北区とのかかわりは。
奥 山 北区に住み始めて55年になります。結婚後、上野の松坂屋の近くの家から谷中に移りました。2階の6畳の部屋を借りて若い人も使って仕事を始めましたが、仕事の音が階下に響いて迷惑がられた。そんなとき仕事仲間の知り合いの不動産屋さんに紹介されたのが今の北区の地です。お金はあるとき入れてくればいいからという良き時代でした。平成15年からは、「奥山峰石と北区工芸作家の会」が創設され、その展覧会も今年24回目になります。

材質:赤銅/銀/銅/四分一
─後継者育成も、人間国宝の使命ですね。
奥 山 人間国宝になったからといって、お金持ちになれるわけではありません(笑)。文化財保護法が制定された1950年から重要無形文化財保持者の認定が始まりました。当時は、助成金で家が1軒建ったといわれていますが、現在までほとんど金額は変わっておらず、「鍛金」では、材料費でなくなってしまいますから(笑)、でも、何とかやってこられた。そして88歳の今でも体は動きます。若い頃のように無茶はできませんが、新しい作品に挑戦する気持ちは変わりません。この歳まで作品作りができる自分は、幸せものだとつくづく思います。
随分前から月1回、工房で作品作りを無料で教えています。そのときお父さんと一緒に15歳の時から私のところに来てくれた鈴木泰三さんは、22年通い続けて現在37歳。通商産業大臣認定の伝統工芸士として立派に仕事をしてくれて頼もしいです。今の私には、100歳になっても1年に1点でも、自身で納得できる作品をつくることが目標です。

「人間国宝認定30年の軌跡 鍛金家・奥山峰石 米寿記念展」
会期:令和7年8月30日(土)から9月21日(日)
会場:北区飛鳥山博物館2階特別展示室・講堂(北区王子1-1-3)
休館日:月曜日(祝日の時は火曜日)
新庄市と北区が所蔵する名品約75点を公開し、鍛金家・奥山峰石が歩んできた軌跡をたどる展覧会。金属が放つ優雅な光沢と美しい曲線、熟練された手仕事から生まれた名品に圧倒されるに違いない。








