ここに、平成14年発行の「日本大相撲溜会小史」があります。溜会に招待された思い出を、親方や関取衆が語っている章で一例をあげますと、千代の富士(九重親方・故人)は、
「幕下上位にきて十両に昇進する力があると認められると溜会から呼ばれるということを励みにしていたのだが、私の場合、昭和49年秋場所幕下11枚目で全勝して次の九州場所で十両にあがったため、呼ばれるチャンスを逃してしまった。後になって昭和56年初場所で初優勝した時からたびたび溜会に招待されたが、幕下の時には呼んでもらえなかったのだと笑い話にしたことがある。溜会の人たちは協会を支えてくれる人たちであり、敬意を払っている。また個人的に親しくなった人もあります」と語っています。
また初代貴ノ花(二子山親方・故人)は、
「溜会は有望力士が呼ばれるんだと聞いていたので嬉しかったし、優勝した横綱大鵬さんと同席してすぐ間近に接することができて感動しました。横綱から小遣いをもらったのを覚えています。あの頃は部屋では稽古稽古で大変だったから、いっときでも緊張感から解放されてホッとしました」
そして、今解説でも活躍している、当時琴風(前尾車親方)は、「昭和50年の5月場所か9月場所のことでした。兄弟子から溜会に呼ばれた力士は皆関取衆になれるって言われて、おれもなれるかなと思いました。柳橋の料亭に行ったのはもちろん初めてで、お寿司を御馳走になりました。長年相撲を見ている溜会の方々や芸者さんが、東富士とか千代の山とかの話をしていて、(相撲)教習所で習った力士の名が出てくるのでびっくりしたのを覚えています」
溜会に招待されると出世するというジンクスを信じ、緊張しながらも楽しいひとときを過ごしてその後の活力になっているのが嬉しいです。現在私は今年横綱に昇進した大の里関の「東京・大の里を励ます会」の会長を引き受けていますが、溜会会長という立場上、個人的に贔屓にするわけにはいきません。
大相撲には「タニマチ」といって、力士を経済的・精神的に支援する後援者や贔屓客を指す隠語があります。大阪の地名「谷町」筋に由来しますが、溜会は、力士個人を支援することではなく、大相撲を国技として維持するための「維持会員」なのです。審判ではありませんが、砂かぶりで真剣に取り組みを見守っていく役目があるのです。ですから「溜席」とは、観戦チケット代を払う枡席や一般席のチケット代のように販売されず、寄付する維持員のための「維持会員席」と定義されているのです。