
東京青山の骨董通りの小さなギャラリーに、ロシア、ベラルーシ、イタリアなどからの観光客が押し寄せたという画家・川井徳寛さんの個展「川井徳寛─猫礼賛祭壇画─」(2025年11月開催)。ギャラリーGYOKUEI(玉英)のオーナーの玉屋喜崇さんも、川井さんご自身も予想もしていない出来事だった。本展の作品は、初期ルネサンスの宗教画を彷彿させるが、絵画の主役が「猫」である。鑑賞者を不思議な世界に誘う川井さんがたどり着いた独自の油性テンペラ技法の開発や作品への思いなどをお聞きした。

左の絵は、『猫に愛』80.5×80.5cm(額込サイズ)油性テンペラ、金箔/木材
画家・川井徳寛のはじまり
幼少の頃から絵を描くことが好きだった私は、授業中も先生の話に耳を貸さず、落書きをしているような子どもで、ノートをとっているといつの間にか絵を描いていました。日曜の朝は、テレビでアニメ番組を観たい気持ちを抑え、プロテスタントの信者の両親に連れられ、教会に通いました。とはいっても洗礼を強制するような両親ではありませんでした。
高校に進学したときは、すでに美術大学で学びたいと思うようになり、入学時点で高度なスキルが必要とされる美大試験の為、予備校に通い基礎になるデッサンなどを学びました。教科書にあったヤン・ファン・エイクの《アルノルフィーニ夫妻像》の絵をみた時、「板に油絵」とあったのがとても印象的でした。板に油絵で描いたものが、なぜこのように透明感が出せるのか、どういう手順で描くのだろうと様々な疑問がわいてきて、そうした技法を学びたいと東京藝術大学の美術部絵画科の油絵を専攻しました。藝大は懇切丁寧に教えるのではなく、学生に干渉せず自主性に任せる教育方針で、想像以上に画家を育てるところでした。短期間で技法を学ぶ講座があり、専門外の版画やリトグラフ、日本画などを学ぶなかで「テンペラ」も履修しました。
ところが大学入学後、それまで私を導いてくれた父が亡くなり、その悲しみからなかなか立ち直れなかった私は、同級生がコンセプチュアル・アートへと進んでいくのに、何を描いたらいいのか定まらず、取り残されたような居心地の悪さも加わり、あまり大学に行かなくなってしまったのです。その頃は映画ばかり観ていた時間が多かったのです。
4年生の時、同じアトリエの友人が、朝から晩まで絵筆を握り、夢中で描き続けている姿に感化されました。絵の仕事に就けたらと考えていましたが、就活もしてみました。画家になろうと決意をしたのは、20代の後半でした。しかし画家を目指すものは、大学生のうちに画廊で個展を開くのが普通ですが、私は大学時代そういう活動をせず、30歳を過ぎて、銀座の「ぎゃらりぃ萌」で初めての個展を開きました。完売ではありませんでしたが、8割方作品が売れたことで自信がついたのも事実です。これが画家としての出発点になりました。














