—老体からは逃げられない。でも笑い飛ばすことは出来る—
萩原 朔美さんは1946年生まれ、11月14日で紛れもなく77歳を迎えた。喜寿、なのである。本誌「スマホ散歩」でお馴染みだが、歴としたアーチストであり、映像作家であり、演出家であり、学校の先生もやり、前橋文学館の館長であり、時として俳優にもなるエッセイストなのである。多能にして多才のサクミさんの喜寿からの日常をご報告いただく、連載エッセイ。同輩たちよ、ぼーッとしちゃいられません!
連載 第6回 キジユからの現場報告
かかりつけの病院に、認知症にならない為の7つの行動指針が貼ってあった。読んでみると、なんのことはない、普段から実行している事ばかりだ。ただし、一つを除いては。
1番の散歩は、毎日スマホで撮影しながら1万歩以上は徘徊している。
2番は、新聞ではないけれど、朗読はやっている。リーディング・シアターや、ポエムリーディング、読み聞かせ、役者などをやるから、普段から声を出して稽古せざるを得ないのだ。
3番の日記。記述は日々の記録は勿論だけれど、この「キジュからの現場報告記」などの連載や、書き下ろしの単行本、詩集を妄想しているから、(笑)書かない日はない。
4番は、当たり前だ。文学館勤務は単身赴任だから仕方ない。5番6番も仕事を辞めない限りは注意事項ではない。
問題は7番目だ。恋。これは難問だ。しかも1番認知症予防には即効性がありそうだ。(笑)どうすればいいのだろうか。そう簡単に人様に恋心など湧き起こらない。たとえ恋心が芽生えたとしても、相手に気持ち悪い老人だと思われる可能性が高い。双方の思いが通じ合ってこそ恋と呼ばれる状態なのだ。
朝、鏡を見て、そこに居る白髪老人に向かって
「恋しないとボケるってさ」
と言ってみる。溜め息が壊れたレコードのように(古い比喩)繰り返される。(笑)
思い出した。10代の時、鏡にスターの写真を貼った事があった。とりあえず、あれをやったらどうだろうか。あっ、貼りたいスターが思いつかない。
第4回 気がつけば置いてけぼり
第3回 片目の創造力
第2回 私という現象から脱出する
第1回 今日を退屈したら、未来を退屈すること
はぎわら さくみ
エッセイスト、映像作家、演出家、多摩美術大学名誉教授。1946年東京生まれ。祖父は詩人・萩原朔太郎、母は作家・萩原葉子。67年から70年まで、寺山修司主宰の演劇実験室・天井桟敷に在籍。76年「月刊ビックリハウス」創刊、編集長になる。主な著書に『思い出のなかの寺山修司』、『死んだら何を書いてもいいわ 母・萩原葉子との百八十六日』など多数。現在、萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち 前橋文学館の館長、金沢美術工芸大学客員教授、前橋市文化活動戦略顧問を務める。 2022年に、版画、写真、アーティストブックなどほぼ全ての作品が世田谷美術館に収蔵された。