第4回【私を映画に連れてって!】 『私をスキーに連れてって』に続く『彼女が水着にきがえたら』『波の数だけ抱きしめて』製作打ち明け話

1981年にフジテレビジョンに入社後、編成局映画部に配属され「ゴールデン洋画劇場」を担当することになった河井真也さん。そこから河井さんの映画人生が始まった。
『南極物語』での製作デスクを皮切りに、『私をスキーに連れてって』『Love Letter』『スワロウテイル』『リング』『らせん』『愛のむきだし』など多くの作品にプロデューサーとして携わり、劇場「シネスイッチ」を立ち上げ、『ニュー・シネマ・パラダイス』という大ヒット作品も誕生させた。
テレビ局社員として映画と格闘し、数々の〝夢〟と〝奇跡〟の瞬間も体験した河井さん。
この、連載は映画と人生を共にしたテレビ局社員の汗と涙、愛と夢が詰まった感動の一大青春巨編である。

 プロデューサー、そして映画にとってキャスティングは大事な要素である。

 ただ、何十本も映画のキャスティングをやってきて感じるのが〝絶対ベスト〟は無いということだ。台本の途中でキャストの話になることが多いが、最初のシナリオイメージ通りのメインキャストで撮影を始められたことは殆ど無い。ある時から「そういうものだ」と自分に言い聞かせ、その後は決まったキャストがベスト! と考えるようになった。これも何かの縁での出会いだと。
『私をスキーに連れてって』もそうだったし、今でもあのキャストで映画を誕生させられたことは幸せだった。
 ただ、『彼女が水着にきがえたら』で三上博史さんが、自己都合で参加できないことになった時は、正直ショックもあった。
 何となく、当初より『私をスキーに連れてって』の次は「海」がモチーフ。そして3作目は「車」とか……。企画を考えながら『私をスキーに連れてって』のコンビは3作共通で……と思っていたからだ。
 でも俳優としての彼と付き合っていると、確かにホイチョイムービーのテイストは彼の志向には合わない。と言っても『私スキ』における彼の存在感、貢献度は大きい。『私スキ』の翌年1月ドラマ「君の瞳をタイホする!」(フジテレビ/1988)に抜擢され、大人気となり『私スキ』から「君の瞳をタイホする」をミックスして〝トレンディ〟という言葉が生まれ、月曜9時のドラマは〝トレンディドラマ〟と呼ばれるようになり、ホイチョイ映画も〝トレンディ映画〟となった。


 殆ど取材を受けない馬場康夫監督の代わりに僕が雑誌「an・an」やら「POPEYE」に登場させられ、〝トレンディ〟を誌面で語ることになってしまった。本当はATG映画のようなことをやりたかった……等は、取材では語れなかった。実家(奈良)の父親からは珍しく便りがあり「カッコ悪いからやめた方が良い」のアドバイスもあった。
 ある意味では三上博史さんとは志向の近いところもあり、その後『スワロウテイル』(1996)の主演等をやってもらった。

『私をスキーに連れてって』に続くホイチョイ・プロダクションが第2弾として製作したのが、1989年6月10日に公開された海が舞台のマリン・リゾート・ムービー『彼女が水着にきがえたら』だ。ダイビングをはじめとするマリン・スポーツのディテールをふんだんに織り込み、余暇優先社会に生きる現代の若者たちのライフ・スタイルとピュアな恋愛模様が描かれ、多くの若者たちに支持された〝トレンディ映画〟である。主演コンビは、『私をスキ-に……』に続いて原田知世と、三上博史に代わり織田裕二が務めた。そしてこの映画を彩ったのが、前回のユーミンに代わり、サザンオールスターズのヒットナンバーの数々だった。クルーザー・パーティ、ヨット、原田知世が勤めるのはアパレル・メーカー、とバブル時代公開の映画がそこかしこから匂ってくる。アパレル・メーカーがオンワードと自在する企業名が使われているが、劇中で、俳優の小道具として使われたり、背景として実在の商品名や企業名が使われる、いわゆるプロダクト・プレイスメントという手法で、企業タイアップが多いのも、この映画の特徴だろう。水上バイクはKAWASAKI、主人公たちの車はトヨタ・ハイラックス・サーフや、トヨタ・セリカ コンバーチブル、ビールはバドワイザーという具合だ。劇中の出てくるヨットの名前は、ツバメ号とアマゾン号だが、これはイギリスの児童文学作家のアーサー・ランサムの『ツバメ号とアマゾン号』シリーズへのオマージュに違いない。脚本は前作に続き一色伸幸が手がけている。伊藤かずえ、田中美佐子、竹内力、谷啓、伊武雅刀らも出演。

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