第5回【私を映画に連れてって!】 大ヒット映画『ニュー・シネマ・パラダイス』を紹介した映画館〈シネスイッチ銀座〉

<シネスイッチ銀座>のシステムが成立したのは、ビデオ(主にレンタル)のお陰である。
 例えば『木村家の人びと』が製作費1億円とする。単館で8000万円以上の興行収入があり、ヒットした。全国では1億円以上の興収になるが、劇場、宣伝費、配給手数料を引くと、手残り(製作者収入)は2000万円前後になる。これでは制作費は回収出来ない。そこで2次使用の最大の収入であるビデオ発売となる。当時、定価は16000円前後なので、手残りが1本5000円とすると2万本売れると1億円が製作者側の収入になった。『木村家の人びと』はこの数字よりも少し良かったかもしれない。

▲1988年公開のシネスイッチ上映3本目にして初めての日本映画上映となる滝田洋二郎監督『木村家の人びと』。バブル期の日本を舞台に、異常に金銭に執着する一家をブラック・ユーモアたっぷりに描いたコメディ映画。一家の夫婦を鹿賀丈史と桃井かおり、子供たちを子役の岩崎ひろみと伊崎充則(現・伊嵜充則)が演じた。一家の中では一番の常識人である息子を演じた、後に黒澤明監督『八月の狂詩曲』でも注目された伊崎の視線が、大きなエッセンスである。柄本明、木内みどり、小西博之、清水ミチコ、風見章子らも出演。桃井は、『噛む女』『TOMORROW 明日』と併せて、ブルーリボン賞とキネマ旬報の主演女優賞を受賞している。


 ビデオ収入に片寄ったシステムだが、ほぼ全てのビデオ発売をポニーキャニオンにして、<シネスイッチ>レーベル化した。
 また、これはフジテレビがほぼ全て出資して映画を製作したので、『木村家の人びと』は最初からゴールデンタイムでの放送を意識して作った。 結果、20%前後の視聴率を取って、滝田洋二郎監督の自宅には花が届けられた。 しかも毎日映画コンクール等で受賞したり、桃井かおりさんがブルーリボン賞主演女優賞をもらったり、モントリオール映画祭にも招待された。香港等でもヒットするおまけも付いて上々の滑り出しとなった。この映画のお陰で、それからの邦画が作りやすくなった。
 このパフォーマンスにより、念願の『誘惑者』も漸く進み、東京国際映画祭では準グランプリを獲得。世界数十ヵ国で上映され、長崎俊一監督との約束も果たせた。もちろん、それからの邦画製作に当たっては、ゴールデンタイムでの放送を視野に入れることはなかった。
 その後、鴻上尚吏監督のデビュー作『ジュリエットゲーム』(1989)から、『きらきらひかる』(松岡錠司監督/1992)、岩井俊二監督の長編デビューの『Love Letter』(1995)まで、7本の映画のプロデュース、 公開を行った。そして、僕はシネスイッチを離れた。

 特筆なのは、1989年に上映した『ニュー・シネマ・パラダイス』が予想外の大ヒットとなり、40週間のロングラン、単館で3億6900万円の興収になり、今でも単館記録として破られていない。1週目の興収からどんどん観客が増え、最終週の興収が最も良いという珍しい結果になった。今でも最終日に劇場に入れない人で一杯だったことは忘れられない。これで【シネスイッチ銀座=ニュー・シネマ・パラダイス】の印象が強くなった。2500万円前後で日本のオールライツを購入したと記憶しているが、この金額は邦画製作費と比べると安いのである。しかもビデオも売れた。宣伝で来日してもらったジュゼッペ・トルナトーレ監督から「ディレクターズカット版」を是非、公開してほしいとの事で2度の美味しい興行になった。

▲シネスイッチと言えばこの映画と言われるほど、<シネスイッチ銀座>の名を一躍有名にした映画ジュゼッペ・トルナーレ監督『ニュー・シネマ・パラダイス』。1989年、シネスイッチ13本目の上映作品である。哀愁ただよう音楽はエンニオ・モリコーネ。出演は、フィリップ・ノワレ、ジャック・ペラン、そして主人公の少年期を演じたサルヴァトーレ・カシオ。少年のあどけない表情が映画を観る者を幸せに包んでくれた。300席前後程度のシネスイッチで、動員数約27万人、売上3億6900万円という興行成績を収め、この記録は、単一映画館における興行成績としては、いまだ破られていない。カンヌ国際映画祭審査員グランプリ、アカデミー賞外国語映画賞を受賞したこの作品は、映画へのあふれる愛情が描かれており、ラストに世界中の人々を熱狂させた名作映画がフラッシュで登場する演出は、観客の胸を熱くさせる。『駅馬車』『風と共に去りぬ』『掠奪された七人の花嫁』『にがい米』『嘆きの天使』『街の灯』『白雪姫』『カサブランカ』『ベリッシマ』『夏の嵐』『黄金狂時代』『ローマの休日』『グランドホテル』『美女と野獣』などなど。渥美清の死後作られた山田洋次監督『男はつらいよ お帰り 寅さん』のラストシーンを観たとき、山田監督もきっと『ニュー・シネマ・パラダイス』が好きに違いないと勝手に推測した。


 僕がアメリカで買ってきた『モダーンズ』(アラン・ルドルフ監督)や、キネマ旬報社が買ってきた『誰かがあなたを愛してる』(メイベル・チャン監督/香港)など、色んな映画が<シネスイッチ銀座>で上映出来たことは嬉しい限りである。パンフレットには邦画、洋画とも全作品、シナリオ採録をつけた。これも好評だった。
 その後、ビデオ(DVD )ビジネスが大きく減少し、現在はピークの10分の1とも言われる程になってしまった。
 単館映画で1億円の製作費はほぼ不可能になった。本来は、その部分を配信などで確保したいところだが、サブスクの問題もあり、なかなか厳しいのが現状だ。
 レンタルビデオ隆盛の頃は、1本売れると印税が200数十円入った。印税を貰えるのは監督、脚本、原作、音楽。2万本売れると500万円前後にもなった。固定のギャランティが300万円でも、ビデオ印税を足せば、何とか格好のつく収入になった。その後のテレビ放送等でも収入は続く。現在は、最も稼げたビデオ印税部分が極めて少額で、残念なことでもあるが、今後は観てもらった数でフェアに配分が行われていくことを願っている。
 『Love Letter』公開後、僕がフジテレビを離れることになり、それでも暫くはシネスイッチ銀座&フジテレビの関係は続いたが、程なく、劇場は籏興行が単独で続けていくことになった。
 設立から36年。単館映画館がどんどん無くなる中、今もシネスイッチ銀座は面白い映画を上映し続けていることは本当に嬉しいことである。


かわい しんや
1981年慶應義塾大学法学部卒業後、フジテレビジョンに入社。『南極物語』で製作デスク。『チ・ン・ピ・ラ』などで製作補。1987年、『私をスキーに連れてって』でプロデューサーデビューし、ホイチョイムービー3部作をプロデュースする。1987年12月に邦画と洋画を交互に公開する劇場「シネスイッチ銀座」を設立する。『木村家の人びと』(1988)をスタートに7本の邦画の製作と『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)などの単館ヒット作を送り出す。また、自らの入院体験談を映画化した『病院へ行こう』(1990)『病は気から〜病院へ行こう2』(1992)を製作。岩井俊二監督の長編デビュー映画『Love Letter』(1995)から『スワロウテイル』(1996)などをプロデュースする。『リング』『らせん』(1998)などのメジャー作品から、カンヌ国際映画祭コンペティション監督賞を受賞したエドワード・ヤン監督の『ヤンヤン 夏の想い出』(2000)、短編プロジェクトの『Jam Films』(2002)シリーズをはじめ、数多くの映画を手がける。他に、ベルリン映画祭カリガリ賞・国際批評家連盟賞を受賞した『愛のむきだし』(2009)、ドキュメンタリー映画『SOUL RED 松田優作』(2009)、などがある。2002年より「函館港イルミナシオン映画祭シナリオ大賞」の審査員。2012年「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」長編部門審査委員長、2018年より「AIYFF アジア国際青少年映画祭」(韓国・中国・日本)の審査員、芸術監督などを務めている。

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