社内での了解は取れそうも無く、脚本の早坂暁さんに会いに行った。テレビ界の大御所であり、吉永小百合主演の映画などの脚本も書かれていた。
誰に聞いても「早坂さんに会いに行くなら、渋谷の東武ホテルに電話して!」とのこと。その頃、ホテル住まいとのことで、東武ホテルの代表電話番号に電話したり、FAXを送ったりして、やっとお会いできることになった。もちろん、ホテル1Fのロビー喫茶だ。
苦い顔つきで「『熱帯夜』ねぇ、僕もホントのところはよくわからないけど、演出とキャスト間でいろいろ揉めたとか……」そして、ニコッとされて「でも、僕はビデオ化、反対しませんよ」
次に、個人的に知り合いでもある桃井かおりさんに電話してみた。その頃はロス在住だっただろうか。「まぁ、いろいろあったけど私は良いわよ!」「ただ、優作がね……。まぁ今は、いないし……美由紀ちゃんが良ければいいんじゃない……」と。
そして、初対面の松田美由紀さんに会いに行くことになった。
「あのう、優作さん主演ドラマの『熱帯夜』の件ですが、色々あったように伺っていますが……」と言ったところで
「待ってたのよ! 何故かこれまで、このドラマだけはビデオ出てなくて……出してよ、早く!」
あっけなく、ハードルだった関門は開かれた。此方の用件は済んだので帰ろうとした時……。
「優作が亡くなってもうすぐ20年になるんだけど、一回だけドキュメンタリー映画をやりたいのね」
「そうですか……良いですね。伝説の俳優ですから。楽しみにしています!」
「河井さん、プロデューサーやってくれない?」
予期せぬオファーに、大先輩で、敬愛する黒澤満さんの名前を出して「優作さんの映画の半分くらいは満さんがプロデューサーですし、マネージャー的な役割をやられていた……」
と言ったところで
「満さんは、やらない! と言ってるのね」と返され、モゴモゴしてしまった。
せっかく「熱帯夜」のビデオ化許諾をいただき、ホッとしていたのだが、「会ったことのない稀代の大スター俳優のドキュメンタリー映画を自分がプロデューサーをやるなんて……」と思いつつ、
「まずは黒澤満さんと会ってきます。やっぱり満さんがやるのが一番良いと思います」
黒澤プロデューサーは意外な見解を言われた。
「河井さんは優作に会ったことがないんでしょ。それは良い。僕がこの映画やるとなると、やっぱり自分が関わった映画中心になるでしょ。映像の権利使用も自分の映画の方が簡単だし。客観的な視点が必要。是非、よろしく頼むよ」と。
心の中で、「なるほど、そういう考えもあるか……」と一瞬、納得しかけたが、やはり、会ったことのない映画スターのドキュメンタリー映画を自分がプロデューサーをやるなんて……。しかも、松田美由紀さんとも一度会っただけ。松田優作フリークは僕の周りにもたくさんいるし……。
美由紀さんに報告に行くと「でしょ! 満さんがそう仰るんだし、河井さんがやるしかないでしょ!」と、何だか、励まされているような、崖っぷちに立たされているような……。
結局、監督候補も、たまたま知り合いだったこともあり、気が付くと、人生初のドキュメンタリー映画の製作に関わることになった。