第8回【東宝映画スタア☆パレード】原 節子 名匠・巨匠から愛された〝永遠の聖処女〟は、恋多き女?


 一時、祖師谷の円谷英二邸に下宿していた原節子。狛江に家を持つ前には、成城のBさんというお宅に住んでいたこともあると聞く。驚くべきは、その家から原とクレージー映画の監督・古澤憲吾が親密そうに出てくる姿を見た人がいることだ。


 目撃者は〝社長〟シリーズの松林宗恵監督。そして松林〝和尚〟は、こうも言ったという。「二人は男女の関係があるように見えた」と……。
 僧籍を持つ松林監督が、いい加減なホラ話などするはずはない。それに古澤は自分の作品の助監督に就いた男であり、見間違いとも思えない。加えて古澤と原は思想信条も共通する。この目撃情報(※6)は、成城住まいだった某監督のご親族が松林監督から直接聞いたものであり、二人の関係はともかく、信憑性は極めて高い。


 これに関しては、当の古澤憲吾が永倉万治の書で「迷惑がかかるから言えませんけど、ある女優から思いを打ち明けられたこともありますよ」と語っているほか、「古澤は原節子にご執心でした」との田中寿一証言もある。クレージー映画ファンなら、古澤自ら「原節子は俺に惚れていた」と吹聴していた話も聞いたことがあるだろう。


 結局、(やはり原にご執心だった)藤本真澄の説得を受けた古澤は身を引き、東宝映画に出演しなくなった原に長期間〈年金〉を払い続けた藤本も、義兄・熊谷久虎との仲を疑り、原への思いを断ったという。
 事実ならなんとも切ない話だが、永遠の聖処女を巡るこれらの〝恋バナ〟も、今や永遠の謎となってしまったようだ。



※1 原節子は51年に東宝と再契約(年間三本以上)。東宝カレンダーでは52年から62年まで1月に起用された。
※2 原は演じたかった役として、滝口入道の思い人・横笛と細川ガラシャ夫人を挙げている(「東宝映画」61年10月号)。
※3 ただし、高峰秀子が抱く原の印象は「不愛想な人」。戦後の二人の共演作は『娘・妻・母』(60)しかない。
※4 六百坪あった土地は94年に売却され、原は高額納税者番付にランクアップ。原邸跡は今や、電力中央研究所の職員住宅となっている。
※5 もうひとつのピークは、『白痴』『麦秋』『めし』でいくつかの女優賞を得た51年か。原はこの年、『近代映画』の「スタア人気投票」で高峰三枝子、高峰秀子を抑えて堂々の第1位。
※6 松林監督のご子息Tさんに確認すると、この話は父から聞いたことがないという。




高田 雅彦(たかだ まさひこ)
1955年1月、山形市生まれ。生家が東宝映画封切館の株主だったことから、幼少時より東宝作品に親しむ。黒澤映画、クレージー映画、特撮作品には特に熱中。三船敏郎と植木等、ゴジラが三大アイドルとなる。東宝撮影所が近いという理由で選んだ成城大卒業後は、成城学園に勤務。ライフワークとして、東宝を中心とした日本映画研究を続ける。現在は、成城近辺の「ロケ地巡りツアー」講師や映画講座、映画文筆を中心に活動、クレージー・ソングの再現に注力するバンドマンでもある。著書に『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『七人の侍 ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)、近著として『今だから! 植木等』(同2022年1月刊)がある。



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