池部が東宝を離れたのは65年9月のこと。〝裏社会の男〟を演じた『けものみち』が専属俳優として最後の仕事となり、池部はすぐに『昭和残侠伝』に出演する。これについては、松竹『乾いた花』(64/篠田正浩監督)でのやくざ役が好評を博した影響もあったろうが、『妖星ゴラス』(62)や『青島要塞爆撃命令』(63)といった円谷特撮をフィーチャーした、言わば子供向けの作品に出ることに、俳優として嫌気が差していたことが大きかったように思える。実際、筆者がリアルタイムで見た特撮ものの池部には鬱屈としたムードが漂うし、前掲書では「ひどくみっともない」あるいは「俳優の出番がない」との発言も残している。
のちに東宝を「サラリーマン会社」と評した池部。それでも『昭和残侠伝』出演オファー時には抵抗を感じ、〝タテ社会〟の東映に違和感を覚えたという。そして池部は大根役者と揶揄されながらも、司葉子から「女優養成所」と称されたほど後輩女優に愛され、逆に彼女たちを引き立たせた(※7)。
池部にとって東宝は、実は〝居心地の良い会社〟だったのではないか――。筆者にはそのように思えてならない。
※1 俳優協会の会長だった池部は「自分がヤクザ映画に出たら示しがつかない」と固辞。しかし俊藤浩滋に口説かれ、「入れ墨はいれない」「ポスターに写真を載せない」「毎回死ぬ」ことを条件に出演を了承する。
※2 子守りをしてもらっていた中村メイコが、イケメンの池部を気に入って島津に推薦したとの説も。
※3 断ろうとしていた池部に島津がかけた言葉は「兵隊から帰ってきたら、助監督にしてやる」。これで池部は不良少年役を受諾、スタアとしての道を歩むことに。
※4 『近代映画』(51)の「スタア人気投票」では、長谷川一夫に次ぐ第2位。
※5 久我は雑誌の取材で「好きな俳優」として、その名を挙げるほどの池部ファン。
※6 同級生役の久慈あさみも、このとき三十歳。池部は『地の果てまで』(53:大映)でも引き続き大学生役を演じる。
※7 23歳で応召、復員した池部が高峰秀子の説得により俳優業に戻った逸話や、岸惠子の言「男としても俳優としても、とびぬけて素敵な人」からも、女優たちに愛された一面が窺える。
高田 雅彦(たかだ まさひこ)
1955年1月、山形市生まれ。生家が東宝映画封切館の株主だったことから、幼少時より東宝作品に親しむ。黒澤映画、クレージー映画、特撮作品には特に熱中。三船敏郎と植木等、ゴジラが三大アイドルとなる。東宝撮影所が近いという理由で選んだ成城大卒業後は、成城学園に勤務。ライフワークとして、東宝を中心とした日本映画研究を続ける。現在は、成城近辺の「ロケ地巡りツアー」講師や映画講座、映画文筆を中心に活動、クレージー・ソングの再現に注力するバンドマンでもある。著書に『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『七人の侍 ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)、近著として『今だから! 植木等』(同2022年1月刊)がある。