連載

第31回【私を映画に連れてって!】野田秀樹、鴻上尚史、宮本亞門、上西雄大ら演劇人たちが映画を創ったら?

 当時、<夢の遊眠社>と人気を二分していたのが鴻上尚史主宰の<第三舞台>。紀伊國屋ホールに『朝日のような夕日をつれて』(1987)を観に行った時が鴻上さんとの初対面だった。とても面白い舞台だったこと、彼と同い年だったこと、野田秀樹さんとの映画が無くなったこと……諸々のこともあったのか初対面なのに「一緒に映画やろう!」となった。『朝日のような夕日をつれて』の映画化も考えられたが、既に彼はオリジナルストーリーで10稿目ぐらいにもなる脚本を書いていた。そのシナリオは『引田10稿(テンコウ)』とも名付けられ、コミカルタッチで面白く読んだ。

 ちょうど「シネスイッチ銀座」を1987年12月からスタートすることを決めていたので第1弾の映画『木村家の人びと』(1988/滝田洋二郎監督)に続く2弾目の邦画としてやることにした。タイトルは『ジュリエット・ゲーム』(1989)。初対面がお互い28歳で、翌年には撮影を始めていた。国生さゆり、村上弘明が主演で、演劇の人では無く、鴻上さんも初監督で、なかなか思う通りの画作りは困難だったと思う。35ミリフィルム撮影、カメラマンは巨匠の仙元誠三さん(『蘇る金狼』等)で緊張の連続だっただろう。シネスイッチ銀座ではヒットしたが、映評は賛否渦巻き、やはり「異業種人」がやった映画と言われた。

▲1989年公開の映画『ジュリエット・ゲーム』は、当時第三舞台の主宰者だった鴻上尚史の初監督作品で、村上弘明、国生さゆり、手塚理美、高橋ひとみ、橋爪功、さらに、劇団第三舞台の看板俳優だった大高洋夫、長野里美も出演していた。撮影監督を務めた仙元誠三は〝仙元ブルー〟と呼ばれる独特の色彩が評判の映画カメラマンで、村川透、澤井信一郎、工藤栄一監督らの数多くの作品でも撮影監督を務めている。90年の日本アカデミー賞では『ジュリエット・ゲーム』ほかで優秀撮影賞を受賞している。音楽プロデューサーを星勝が務め、忌野清志郎&The Razor Sharpsの「スタンド・バイ・ミー」、RCサクセション「トランジスタ・ラジオ」「スローバラード」、THE BLUE HEARTS「人にやさしく」などの挿入曲が印象に残る。




 その数年後、鴻上さんから連絡があり、敬愛する大林宣彦監督の現場に密着したい! と。『水の旅人 侍KIDS』(1993)のスタッフや助監督というのは無理なので、撮影のドキュメンタリーを『映画の旅人・大林宣彦の世界/鴻上尚史』としてビデオ発売することとした。ぼくが現場に行くと、だいたい鴻上さんがビデオ撮影していて、映画への情熱はまだまだあると感心した。その後『青空に一番近い場所』(1994)など5本くらいの映画を監督している。

▲大林宣彦監督映画『水の旅人 侍KIDS』の撮影現場に密着する鴻上尚史(右)と大林宣彦。

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