これまで、宅間孝行(旧ペンネームはサタケミキオ)さんの舞台が好きで、映画化を試みたり(『同窓会』2008)、ケラリーノ・サンドロビッチさんとシナハンに行ったり、蜷川幸雄さんの映画『蛇にピアス』(2008)ではGAGAの製作部長としてオーディションなどにも立ち会ったりと、演劇人の方々と何度もチャンスはあったが、自分がプロデューサーをやることはなかった。
昨年、ひょんなことから上西雄大さんと会うことになった。彼は劇団10ANTS(テンアンツ)の主宰者で、主演、監督でもある。『ひとくず』(2020)、『西成ゴローの四億円』(2022)など既に10本以上の映画の監督もやっているが、小規模のせいもあり、まだ認知度は高くない。舞台『ひとくず』は演劇の聖地、本多劇場でも今年公演を行なった。
今、製作中の映画『かげひなた』の展開を相談され、海外の映画祭や編集面でのサジェッションをやったりしている。創り方は主演&監督と「北野武」さん的でもあるが、テーマは一貫して、虐待や、孤独死、元犯罪者の社会復帰など、マイノリティ目線である。個人的には、大好きな『竜二』(1983/川島透監督)を彷彿させ、『チ・ン・ピ・ラ』(1984/同)ぐらいのメジャー感を持てる映画になれば良いかなと期待している。演劇出身で、映画の評価ももらい、多くの観客に観てもらえる映画……が目標である。

結局、野田秀樹さんは一度も映画監督をやっていない。ぼくも、野田演劇をどのように「映画」にするのが良いのか答えを未だに見いだせない。やはり、あのライヴならではの一体型没入感、リアクションの即興感、それは映画表現には無い。それでも面白い演劇の要素を活かした映画は追求していきたいと思う。

かわい しんや
1981年慶應義塾大学法学部卒業後、フジテレビジョンに入社。『南極物語』で製作デスク。『チ・ン・ピ・ラ』などで製作補。1987年、『私をスキーに連れてって』でプロデューサーデビューし、ホイチョイムービー3部作をプロデュースする。1987年12月に邦画と洋画を交互に公開する劇場「シネスイッチ銀座」を設立する。『木村家の人びと』(1988)をスタートに7本の邦画の製作と『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)などの単館ヒット作を送り出す。また、自らの入院体験談を映画化した『病院へ行こう』(1990)『病は気から〜病院へ行こう2』(1992)を製作。岩井俊二監督の長編デビュー映画『Love Letter』(1995)から『スワロウテイル』(1996)などをプロデュースする。『リング』『らせん』(1998)などのメジャー作品から、カンヌ国際映画祭コンペティション監督賞を受賞したエドワード・ヤン監督の『ヤンヤン 夏の想い出』(2000)、短編プロジェクトの『Jam Films』(2002)シリーズをはじめ、数多くの映画を手がける。他に、ベルリン映画祭カリガリ賞・国際批評家連盟賞を受賞した『愛のむきだし』(2009)、ドキュメンタリー映画『SOUL RED 松田優作』(2009)、などがある。2002年より「函館港イルミナシオン映画祭シナリオ大賞」の審査員。2012年「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」長編部門審査委員長、2018年より「AIYFF アジア国際青少年映画祭」(韓国・中国・日本)の審査員、芸術監督などを務めている。また、武蔵野美術大学造形構想学部映像学科で客員教授を務めている。













